わたしが決めるということ / あのひとは蜘蛛を潰せない(彩瀬まる)

親にかけられた呪縛と戦っている人は、この主人公は自分だ、と思うだろう。

 

温かいごはんを毎日用意し、娘が帰るまで食べずに待っていたり、

高価な服や化粧品を買い与えたりと過保護な一方で、

「頭が悪い」「脚が太い」とけなす言葉を放つ。

 

そんな母親と二人で暮らす28歳の主人公の梨枝は、

息苦しさを感じつつも、母親から離れることができずにいる。

幼かった息子を亡くし、夫が愛想を尽かして出ていき、

女手ひとつで育てた息子も結婚を機に家を去る。

そんな母を「かわいそう」に思って。

 

しかし、大学生の三葉くんと付き合いだしたのをきっかけに、

梨枝は家を出て、少しずつ変わりはじめる。

 

「きちんと」「ちゃんと」しなきゃと、

実体のない規範に縛られている梨枝を、とても痛々しく感じる。

その一方で、それはまるで自分自身の鏡写しなのだ。

 

「正しさ」なんていうものは絶対的に存在するわけじゃない。

他の誰でもない、わたしが、自分で決めるのだ。

傷つきながらその結論にたどり着く姿に、力をもらう。

 

特に、過保護な親に息苦しさを感じている人にぜひ読んでほしい。

毒にも似た歌詞の鮮烈 /スガシカオ

本音と建前なんて言うけれど、

「思ってても言っちゃいけないでしょ、それ」な本音を

グロテスクではなく爽快に表現するのがスガシカオの魅力。

 

最新アルバム「THE LAST」に収められている

「あなたひとりだけ幸せになることは許されないのよ」は

タイトルからしてもう、その真髄がだだ漏れている。

 

誰もが経験のある後ろ暗い欲望や感情。

持っていない振りをしたくなる、そんなカタマリたちを、

何でもないことのように彼は歌う。

 

自分だけではないということの救い、などと言うと陳腐だけれど、

真っ白にキレイで真っ当な人間じゃないのは、何も自分だけじゃないのだと、

どこか許されたような気持ちになる。

 

そうした影の部分を鮮やかに切り取ってみせる一方で、

NHK「プロフェッショナル」のテーマ曲である「Progress」のような

メッセージソングを書き上げるという才能の振れ幅もまた、

スガシカオにハマる一因だったりするのだ。

 

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「アルバム視聴会」と題されたライブから約1年が経ったけれど、

耳を傾けるたびに、何度でも視聴会のときの衝撃を思い出す。

デビュー20周年を迎えてなお、エッジの効いた彼の最新作です。

生きづらさに寄り添う音楽 /Lyu:Lyu(CIVILIAN)

しんどくて、大好きな本を開く気力すらないとき、

いつも音楽に助けられてきた。

 

つらいときに聴くのは、前向きなメッセージ性の強い音楽よりも、

作り手も自分と同じように苦しんでいることが感じられる、

人によっては「ネガティブ」と言われるだろう曲たちがいい。

Lyu:Lyu(11月にCIVILIANとしてメジャーデビュー)は、

間違いなくそういうときに聴くべきバンドだ。

 

「他者と関わりたいけどうまく関われない、だから関わりたくない、でも…」

みたいな矛盾感を抱えているひとは、共感性が高いんじゃないかと思う。

私の語彙力ではうまく説明しきれないのがもどかしい。

下にYoutubeのリンクを貼っているので、とりあえず1曲聴いてみてほしい。

彼らの曲は、もしかしたらあなたを救う曲になる。

私にとって、そうであったように。

 

Youtubeにアップされていない曲もいっぱいあるので、

ちょっとでも琴線に触れた人がいらっしゃれば、アルバムも是非。

事実とは何か /遠野物語 奇ッ怪其ノ三

脚本家が前田知大さんということで観劇。

イキウメ・カタルシツ以外で、彼の脚本を観るのは初めてだったが、

期待を裏切らない面白さ。

 

「標準語」以外で語ること・記すことが弾圧され、

フィクションが「妄想・虚妄」として取り締まられる世界。

冒頭の「過去であるかもしれず、未来かもしれない」の台詞が刺さる。

 

科学的に証明できないことは嘘だ、虚妄だと警官は言う。

しかしヤナギダの著作は、ササキが語ったことをそのまま書き起こしたものであり、

ササキ(あるいはササキに語った人)にとっては、それは「事実」なのだ。

たとえそれが、科学的に立証できない奇怪な現象だとしても。

事実であるかどうかは、経験した本人が決めることだ。

イノウエが、妻の失踪を神隠しとして片付けられるのを拒否するのも、

同じことの裏表でしかないように思う。

 

話はまったく変わるが、ササキが他者の話を語るときに、

「思い出している」ような感じだと言っていたが、

カタルシツの「語る室」のときも同じような台詞があったなぁと。

「想像することは思い出すことだ」。

人類が共有する記憶のプールにアクセスするという途方もない話だったけど、

「分からないけれど、分かる」という感覚を引き合いに出されると、

たしかにそういうことってあるよなと思わされてしまう。

 

俳優陣のインパクトでいうと、瀬戸康史ダントツ。

これまでアイドル俳優という印象だったのが申し訳ないぐらい、

東北の訛りがほんとうに上手く、おばあちゃんとの絡みもよかった。

 

遠野物語」読んだことがなかったけれど、読んでみたくなった。