事実とは何か /遠野物語 奇ッ怪其ノ三
脚本家が前田知大さんということで観劇。
イキウメ・カタルシツ以外で、彼の脚本を観るのは初めてだったが、
期待を裏切らない面白さ。
「標準語」以外で語ること・記すことが弾圧され、
フィクションが「妄想・虚妄」として取り締まられる世界。
冒頭の「過去であるかもしれず、未来かもしれない」の台詞が刺さる。
科学的に証明できないことは嘘だ、虚妄だと警官は言う。
しかしヤナギダの著作は、ササキが語ったことをそのまま書き起こしたものであり、
ササキ(あるいはササキに語った人)にとっては、それは「事実」なのだ。
たとえそれが、科学的に立証できない奇怪な現象だとしても。
事実であるかどうかは、経験した本人が決めることだ。
イノウエが、妻の失踪を神隠しとして片付けられるのを拒否するのも、
同じことの裏表でしかないように思う。
話はまったく変わるが、ササキが他者の話を語るときに、
「思い出している」ような感じだと言っていたが、
カタルシツの「語る室」のときも同じような台詞があったなぁと。
「想像することは思い出すことだ」。
人類が共有する記憶のプールにアクセスするという途方もない話だったけど、
「分からないけれど、分かる」という感覚を引き合いに出されると、
たしかにそういうことってあるよなと思わされてしまう。
これまでアイドル俳優という印象だったのが申し訳ないぐらい、
東北の訛りがほんとうに上手く、おばあちゃんとの絡みもよかった。
「遠野物語」読んだことがなかったけれど、読んでみたくなった。