子宮全摘した話

前回、子宮全摘することを決めた話を書いてから半年経ち、やっと手術が終わった。

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半年間何をしていたかというと、レルミナという薬剤を飲んでいた。

ホルモンを減らすことで、手術に向けて筋腫をなるべく小さくするためだ。

この薬は副作用が出やすいという体験談をネットでたくさん見ていたので、

飲み始めるまでは少々びびっていたのだが、

現れたのは寝付きの悪化による不眠のみだったので、睡眠導入剤で何とかなった。

副次的な作用として月経が止まるので非常に快適だった。

 

4年前の手術とほぼ同じ内容だったので、違ったところだけピックアップする。

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手術の環境面で違ったのは

①ロボットを使用した手術だったこと

②筋腫核摘出ではなく子宮全摘だったこと

で、それらが影響しているのか、4年という時間経過での技術進歩か分からないが、

前回より回復が早い実感がある。

 

前回と違ったところでいうと、こんなところだろうか。

【手術前】

・全摘でいいのか何回も確認を取られた

 不可逆な選択なので、医療裁判になるリスクもあると思うから、

 仕方ないのだろうと理解してるけど、ほんとうに繰り返し確認された。

OS-1を飲むように言われなかった

・除毛は自分でやるように言われてお風呂でやった

・着圧ストッキングは手術前には履かなかった(術後に履かせてくれていた)

・T字帯はNG(病院からの資料に「フィットパンツor T字帯」と書いてたのに…)

 ずれやすいからNGというので、急遽病院内のコンビニでこれを買った。

 https://www.hakujuji.co.jp/salva/products/diapers/dp02_01.html

 

【手術後】

・点滴が手の甲じゃなくて、腕だった

(手の甲はどうしても曲げてしまう部分で気を遣うので、腕で有難かった)

・酸素吸入は鼻の管だけで、意識戻ってすぐに取ってくれた

・着圧ストッキングによる足の痺れがない!!

 前回一、二を争うしんどさだったので、めちゃくちゃ助かった。

・痛みが前回より少ない!!

 手術当日の時点で、ある程度は寝返りっぽいことができたり、

 膝を立てて体勢を動かしたりということができた。

 起き上がることはできず、同じ姿勢で固まらざるを得ないとはいえ、

 たったそれだけの可動域でもあるとないとで大きく違う。

・術後2日で腰を曲げずに歩ける!!(まじか、と思った)

・腹の中に重りをぶら下げられているような引っ張られ感が少ない!!

 (とはいえ、そこそこ長時間動くと強まってくる)

・傷のテープの貼替えは自分でやる!?

 前回は勝手に剥がれるまで放置、剥がれたらそのままだったと思うのだが、

 今回は自分でテープの張替えをしなくてはならない。

 材質も、フィルムっぽいやつから布感のあるものに変わっている。

 お風呂に入って本当に沁みないのか不安すぎる。

 

今回も麻酔で意識失う直前まで、主治医の先生が「大丈夫」と声を掛けて

力強く手を握ってくれたのが、ほんとうにありがたかった。

ベストを尽くすという思いがそこから流れてくるようだった。

「気持ちが伝わる」というのはああいうことなんだなと思う。

 

正直、術後の経過が前回よりイージーだったので、

これで今後の月経から解放されると思うとラッキーだったな…とさえ思う。

 

ただ、腸閉塞になる可能性もあるような手術ではあって、

食生活とか運動とかは従来より気を付けた方がよさそうなので、

なにもかもがパーフェクトとは行かないけれど。

(前回の手術の癒着も強かったと聞いたので、腹関係の手術はもうしたくない…)

子宮全摘することにした話

以前、子宮筋腫の筋腫核手術をした。

多発性だったため、全部を取ろうとすると出血が多くなってリスクが高まるということで、大きいものだけを摘出し、小さいものは残して経過観察しましょう、との結論で。

 

それから4年。半年に1回くらいで通院して検査を受けてきたけど、ついに手術を考える大きさまで成長してしまった。

じわりじわりと大きくなっていっていたから、いつかはこの日が来るのだろうなとは思っていたけど、4年は想定していたより早かったなあ…というのが正直なところ。

 

医師から提示されたのは

①症状が無いうちは手術は保留

②前回同様、筋腫核手術をする

の2つだった。

 

今の大きさでも、腹腔鏡はぎりぎりで、開腹になる可能性もあるという話だったので、まず①はあり得なかった。

筋腫は大きくなる一方で、今は症状がほとんど無くても、いつかは症状が出てくるかもしれないし、時間が経つほど開腹手術になる率が上がるのであれば、腹腔鏡で収まりそうなうちに処理してしまいたかったからだ。

 

そして②も微妙だなというのが率直な感想だった。

現在30代前半で、閉経まではかなり時間がある。前回の手術からたった4年しか経っていないことを考えると、今後も同じペースで手術になる可能性があるのは受け入れがたかった。

 

出産しないと決めている人間にとって、子宮はただただ面倒事をもたらす臓器でしかない。この際、子宮ごと手術で取ってもらう選択肢はないのだろうか、筋腫核手術と比較したときのメリット・デメリットを教えてほしい、と医師に伝えた。

 

医師からの回答は、おおまかには

≪メリット≫

・筋腫核手術よりも切る範囲が少なく済む

・9割以上の可能性で腹腔鏡でできる

・再発はなくなる

≪デメリット≫

・妊娠出産ができなくなる

という内容で、私にとってはデメリット0じゃん!となり、子宮全摘してもらうことに決めた。

(しかも月経が今後無くなるっていう大きいメリットもあるし!)

 

卵巣を残すため、ホルモン分泌には影響なく、骨粗鬆症更年期障害にはならないはずではあるけど、ネット上の体験記を読むと更年期障害に近いような体調の崩し方をしている人も多そうだから、不安がなくはない。

でも今後手術を3回も4回も繰り返す可能性があるのに、希望的観測でそれを無視するのはできないな、という気持ちの方が強くて、この結論に至った。

 

前回の手術時、このブログに手術記を書き残していたのだが、そのときの自分に背中を押される部分もあって、記録しておいて良かったなあと思う。

今ある筋腫がまた大きくなってしまったらまた手術になるけど、

これぐらいの苦痛・苦労なら全然耐えれることが分かり、ちょっと気楽。

4年前の私がこう言ってることだし、まあ大丈夫でしょう。

 

子宮筋腫・卵巣嚢腫手術記 (術後5カ月)

サブテーマとして書いていた手術記がいちばん需要があるようなので、

手術のその後の話を書こうと思う。

 

手術後3週間で仕事復帰の予定だったが、

3週間ではふつうに歩くこともまだままならず、

少し動いただけで体力の消耗が半端ではない状態だったため、

「この状態で復帰しても使い物にならん!」と

上司に連絡して1週間延長してもらった。

 

たった1週間だが、その1週間がとても大きく、

比べ物にならないくらいさくさく動けるようになっていて、

(自転車も乗れるようになってた!)

仕事も問題なくこれまでどおりのフルタイムで復帰できた。

 

 体調はというと、すべての筋腫を取りきったわけではないので、

生理痛はこれまでとほぼ変わらずあるけれど、腰痛はかなり改善された。

癖のように頻繁に腰を叩いていたのが、まったくなくなった。

元々症状が重かったわけでもないから、改善もそんなに実感はない。

 

残っている筋腫の育ち具合を見てもらうために、

数カ月に一回病院に通う程度で、特に仕事にも支障はなく、

手術したなんて嘘のように、これまでどおりの日常。

 

傷跡もほんとうに小さくて薄く、こんなので手術できるんだ!と

現代の医療技術には感服。

ただやっぱり気持ち的に傷跡の近くをさわるのはいまだにどきどきして、

お風呂でもそこだけは擦るのを気にしてしまう。

 

今ある筋腫がまた大きくなってしまったらまた手術になるけど、

これぐらいの苦痛・苦労なら全然耐えれることが分かり、ちょっと気楽。

案ずるより産むが易しというけど、経験者にだけ言えることだそれは。

 

私も手術前はすごく不安で、いろんな人の体験記をネットで読み漁ったから、

もし私の書いているものが誰かの不安を少しでも軽減できたらいいなと思う。

 

 

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (入院前の準備)

物心ついてからの初めての入院だったので、

何を用意していいか分からず、とにかくネットで調べまくった。

 

病院から教えてもらえることもあるが、そうではないこともあるので、

今後の自分のためにもまとめておく。

(保険のことは自分の理解でまとめているので、ご了承ください)

 

■高額療養費の限度額申請

これは必須中の必須。

所得に応じて、1か月あたりの限度額が決定され、それ以上は自己負担せずに済む。

「1か月あたり」がポイントで、入院が月をまたがないようにした方がいい。

 

健康保険組合に事前に申請し、認定書を入院時に提出すればOK。

(認定書は、申請後1週間も経たずに送付される)

 

■生命保険用の診断書用紙をもらう

生命保険は、各社独自の診断書に記載してもらわなければならないのがほとんど。

早く保険金をもらうためには、事前に診断書用紙をもらっておいて、

退院時に記入を依頼するのがいちばんスムーズ。

 

□入院時に限ったことではないが、領収書の類はきちんと保管する

支払った医療費の総計が10万円超の場合、確定申告で税金が下がる。

 

□自宅療養期間も終了してからになるが、傷病手当金を申請する

休職している期間(休業4日目から)、給与の一部を健康保険から受給できる。

 

 

■入院時に持ち込んだもの

・パジャマ

いろんな方の体験談に書いてありましたが、前開きワンピース型が最上。

術後、ズボン型だと傷口に当たって絶対痛いと思うし、

毎日お腹の音を聞く診察があるので、前開きは必須。

 

入院中の病衣レンタルもあって、それと迷ったが、

退院後も傷に触らない方がいいだろうなと思い、結局購入。

退院後の今、ナイス判断だったなと思う。

 

購入したのはこれ。値段の割にしっかりしてて、よかった。

 

 

・風呂用品:バスタオル、タオル、ボディソープ、シャンプー、替えの下着

 

洗顔用品:洗顔料、はぶらし、歯磨き粉、コップ、スキンケア用品

 

・時計

入院中、「〇〇時からは~~です」と言われることが多いのだけど、

病室に時計はない。

他の方の体験談にも書かれていることが多かったので、

こんな病院が多いのじゃないかと思う。

盗難が気になるので、腕時計は持って行かず、安い置時計にした。

 

 

・T字帯

病院から持ってくるように言われ、はじめて聞いた名前だったのだが、

言ってしまえば、ふんどしみたいな感じか。

術後~歩行できるまでに使用する下着である。

こんなやつ。使い捨てです。

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (術後~退院)

前回の続きです。

 

≪入院3日目・手術後1日目≫

予定表では、トイレまで歩くのが目標の日。

(ベッドから3~4mぐらいか?)

 

朝目覚めて、どこが痛かったかというと、

傷口よりもなによりも、背中と鎖骨まわり。

肩こりがひどい私でもなかなか経験したことのない、

重い肩こりというのはこんなのではなかろうか?という痛み。

手術中にお腹に入れたガスのせいで痛むらしい。

単純に、かたまった姿勢で寝ざるを得なかったのも一因だと思う。

これは翌日まで続き、寝ても座っても揉んでも解消されず、

我慢できないわけではないけど、つらかった。

 

昼食から五分粥で、術後はじめての食事。

リモコンで起き上がる式のベッドで、ベッドの力で起き上がらせてもらった。

あまり起き上がらせると、お腹が圧迫される感じで痛むし、

倒してしまうと、食事のテーブルから遠ざかってしまうしで、

最初の食事はすごく苦労した。

食器を持とうにも、手の甲には点滴の針が入ってるから曲げたくないし。

でも、美味しかったので、おかずは全部食べた。

 

トイレまで歩けたら尿の管が外せるということで、

昼食から数時間後、看護師さんに補助してもらい、立ち上がる練習。

驚くほど、痛みもなく動くことができた(昼食時に痛み止め飲んでる)。

とはいえ、腰を丸めてよろよろと、お腹を庇いながらだけれども。

術後24時間で、なんとか歩ける状態になっていることにびっくり。

事前に聞いていたが、それでもやっぱり驚く。人体の回復力すごい。

 

尿の管は入っている感覚は全然ないが、

抜くときは、ずるっといういやな感触がした。

同時に、着圧ストッキングからも解放され、ちょうど点滴も終わったので、

身体についている管がすべて無くなり、晴れて自由の身に。

 

もちろんまだシャワーは浴びられないので、タオルをもらって身体を清める。

それだけでも、かなりすっきりとした気分になった。

 

前日あまり眠れていないので、日中は寝てばかりいた気がする。

昼食時から水も解禁になっていたのだけど、

うっかりしていて手術前に飲み物を買い置きしておらず、

食事時しか病院からお茶が提供されないため(水道水ならもらえたのだが、それはいやだったので)、昼食後~夕食までは喉の渇きに悩まされた。

 

この日も前日と同じく、ほとんど身動きが取れない状態で、あまり眠れなかった。

でも、昨日はあったさまざまな管がなくなっていたので、前日よりはマシだった。

 

≪入院4日目・術後2日目≫

昼にトイレに行った際、ナプキンに血がついており、慌てて看護師さんを呼んだが、

卵巣の手術だと、ホルモンの関係で不正出血が起こることもあると聞いて安心。

塊が出たり、量が増えなければ問題ないとのこと。

 

術後はじめてのシャワー。

傷にはフィルム状のテープが貼られているのみで、

沁みるのではないかとどきどきしていたが、全くそんなことはなかった。

髪を洗うのが、どんな体勢をとっても痛みが走るので、

めちゃくちゃ手早く済ませるしかなかった。

 

予想外のダメージがあったのが、テープによるかぶれ。

これまでテープかぶれなどなったことがなかったのに、

手術時にも、顔や太ももにテープかぶれで皮膚が腫れてしまい、

看護師さんたちを慌てさせてしまったらしいのだが、

シャワーで身体が暖まったことで、傷口のテープのかぶれが悪化。

もちろん剥がすことはできないので、痒みと戦う一夜となった。

 

夕食から、部屋食→食堂での食事に変わった(食堂まではベッドから30mほど)。

内容も、おかゆから普通のごはんに。

同じテーブルで食べているおばあちゃんたちに話しかけられ、

数日ぶりに看護師さん以外の人と会話をした気がする。

 

飲み物不足も深刻だったので、病院内のコンビニにお茶を買いにも行った。

ベッドから片道50mほどだと思うのだけど、

コンビニに着いた頃にはもう、へその辺りの引き攣れ感がひどく、

部屋に戻ったときにはもう動きたくないというような状態。

 

だいぶ、寝転がっている状態では痛みを感じなくなってきたので、

手術後はじめて、満足に睡眠をとれた。

 

≪入院5日目・術後3日目≫

手術時のガスが出きったのか、肩凝りのような痛みはすっきりとなくなった。

その代わりに、歩く際にかばうせいか、腰痛がはじまってきた。

もともと腰痛持ちなので、ひどくなるようなら厄介だ。

 

傷口のテープの痒みがあまりにひどいので、担当医に相談し、

予定より一日早く、痒みの少ないテープに貼り替えをしてもらった。

 

昼食のあと、昨日の夕食時にお話ししたおばあちゃんに誘われて、

病院内のちょっとした庭を散歩。

コンビニとほぼ同距離にあるのだけど、昨日ほどしんどくなく歩けた。

思えば、外の空気を吸うのは入院してからはじめてで、

日光を浴びるのは気持ちいいなと思った。

 

シャワーはやはり、髪がうまく洗えなかった。

そのせいで軽くフケっぽくなっており、落ち込む。

 

≪入院6日目・術後4日目・退院日≫

執刀医の先生による内診があり、問題なしのため退院決定。

 

病院から出るとき、エレベーターに乗ったのだけど、

落ちていく感じ、止まるときの押し上げられる感じで、

へその奥の方が引っ張られるような感覚がして気持ち悪くてびっくりした。

 

自宅までは通常時で徒歩15分程度のため、歩けなさそうと判断し、タクシーで帰宅。

帰ってからは、荷物の片付けをしたかったのだが、疲れきっており、

テレビをだらだらつけっぱなしているだけだった。

 

食べ物をどうにかしなくてはいけないのだが、入院前に冷蔵庫はほぼ空にしている。

しかし、近所のスーパー(徒歩10分)まで買いに行ける気がせず、

はじめてネットスーパーを利用した。文明の利器は素晴らしい。

 

それから、微妙に家具の配置を調整。

ふだん、ローテーブルであぐらで過ごすのが常だったのだけど、

椅子で座るのが一番楽なので、別で使っていた高いテーブルに置き換えた。

あと、洗面所に椅子を置いた。歯磨き中、立ってるのがしんどくなるから。

余らせてる家具があってラッキーだった。

 

そんなこんなで、少しずつ日常に戻していっている。

まだまだ全然歩けないけど! というか、長時間立つこともままならないけど!

 

入院前の準備もろもろのことを、また別記事で書きます。

 

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (手術前日~当日)

前回の続きです。

 

紹介された大病院が、婦人科の腹腔鏡手術が得意な先生のいらっしゃる病院で、

幸い、サイズ的にもぎりぎり開腹しなくても摘出できると言っていただいたので、

開腹ではなく、腹腔鏡手術をお願いした。

 

入院予定は手術前日も含めて6日間。実際、その予定通りに退院。

 

入院前の準備については、また別途で書く予定です。

まずは記憶が薄れないうちに、入院中の記録を。

(ほんとは入院中に書く予定にしてたけど、それどころじゃなかった)

 

≪入院1日目・手術前日≫

昼ご飯を食べた後、午後から入院。

まずは、身長・体重・体温・血圧の測定。

その後、翌日以降に履く着圧ストッキングを渡され、説明を受けた。

術中・術後の血栓を防ぐために必要らしい。

 

また、手術前後は水分も取れないので、

熱中症対策で有名なOS-1を1リットル、翌日9:00までに摂るように指示があり、

病院内のコンビニに買いに行った。

(味がどうしても無理なら言ってと看護師さんに言われたけど、私は嫌いじゃない。

 ポカリから甘味を減らした感じ?)

 

若干、陰部の除毛あり。前から見える部分のみ。

他の方の体験談を見てると、自分でやるように言われる病院もあるみたいだけど、

看護師さんが小さなバリカンみたいなのでやってくれた。

 

16時ごろに浣腸(物心ついてから初)。

浣腸をすると、ずっとお腹がゴロゴロするイメージだったのだけど、

まったくそんなことはなく、出してしまえば元通りでほっとした。

 

夕食はふつうの病院食。21時以降絶食のため、術前最後の食事。

ネットに「この病院はおいしい」とクチコミがあり、その期待を裏切らない味。

この味の定食屋が近くにあれば通うレベル。

その後、シャワーを浴びて就寝。

ベッドの硬さと緊張のため、ぐっすりは眠れず。

 

≪入院2日目・手術当日≫

午後からの手術予定だったので、午前中はkindleで漫画を読みつつごろごろ。

内診とエコー検査があったぐらい。

 

朝起きてすぐに、また浣腸。前日ので慣れた。

飲み物が許されるのが朝9:00までで、ぎりぎりの時間までかけてOS-1を飲んだ。

 

私の前にも手術があり、その進捗次第で、開始時間が前後すると言われていて、

予定開始時間より早まる可能性もあるからと、

1時間前から手術着に着替えて、着圧ストッキングを履いてスタンバイ。

形から入るタイプなので、この時点で緊張が高まる。

 

結局、予定通りの時間からの開始。

手術室に入ると、たくさんの人がいて、矢継ぎ早に指示が出て、

寝転ぶ場所を上下したり、服を脱いだり、点滴を打つ腕を出したり、

いろんなことを次々にしないといけなくて、

緊張のせいもあり、頭がキャパオーバーな感じになった。

 

注射は刺さる瞬間を見ていないと怖いタイプなので、

点滴を刺そうとしているところを身体をねじって凝視していると、

主治医で執刀医の先生から「緊張してる?」と尋ねられた。

それはもう、めちゃくちゃしてます。

 

点滴の針もそんなに痛くなく入れてくれて、ほっとしたのだけど、

いざそこから全身麻酔が始まると思うと、緊張再び。

執刀医の先生がとてもやさしい方で、

「大丈夫だよ、心配ないからね」と言って手を握ってくれたのが、

惚れてまうやろー!という感じ。吊り橋効果か。

 

麻酔が入るとき、ちょっとぴりっとしますよーと言われ、

ぴりっとしたな、と思った数秒後からの記憶はなし。

次に記憶があるのは、もう手術後。

 

とにかく看護師さんに深呼吸して!と言われ、

意識朦朧の中、眠気と戦いながら、必死で呼吸をしていた。

そのときには、もうすでに病室まで戻ってきていた。

 

意識がはっきりして、いちばんにしたのは、

「今何時ですか?」と聞いたことだったと思う。

4時間半経っていた。手術自体は4時間くらいだったらしい。

もともと、3~4時間と聞いていたので、ほっとした。

 

酸素供給の、口に当てる器具は、ドラマではよく見るけど、

あんなにうっとおしいものだとは思わなかった。

数時間で外してもらったけど、逆に呼吸がしにくくて仕方なかった。

 

痛みは、想像よりも少なかった。

腹腔鏡は開腹に比べてずっと痛みが少ないとは聞いていたが、まさかこれほどとは。

大学の頃のひどい生理痛の方がよっぽどきつかった。

痛いのは痛いのだけど、薬で紛らわせられる程度。

…と言いつつ、「起き上がらなければ、寝がえりはうっていいよ」との言葉に、

「こんなに痛いのに寝がえりなんかうてるかー!」と思う程度ではある。

 

普段から仰向けに寝るのは苦手なので、

横向きになれるように背中に枕を置いてもらった。

一度体勢を決めてしまうと、動くと痛いから動きたくないのだけど、

自重でつぶされた足がしびれてきて、数時間で目が覚めてしまい、

何度も動くことの繰り返し。

しかも、置いてもらった枕をどけるほどには身体を動かせないので、

身体を垂直に立てるか、枕にもたれかかるかの2パターンしかなく、

ほんとうにしんどかった。

点滴と、心拍モニターがついており、

そのコードで動きにくいのも、地味にいやだった。

 

もうひとつ襲い掛かってきたのは、着圧ストッキングである。

名前の通り、足を締め付けているため、

ただでさえ自重でやられている足を、さらに追い詰めるのだ。

正座したときとも違う、じわーっとした痺れ方。

看護師さんに言ったら、すこし足を揉んでくれて、ありがたかった。

 

病室に置いていた時計は、寝転ぶと見えない位置にあったので、

何時間経っているのかも分からないのが、もどかしかった。

手術前にもらっていた予定表で、

翌日になれば、歩行するまでになれるはずだと分かっていたので、

とにかく早く明日になってくれと願っていた。

何度も何度も目が覚めながらも、

痛みから逃げるためにがんばって眠ろうとして、

気付けばうとうとして、翌日になっていた。

 

つづきはまた。

 

この記事だけ読まれてる方もいらっしゃると思うので、

おすすめの本の紹介だけ再掲します。

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (判明~手術決定)

病名が判明してから、いろいろな方の体験談ブログを拝見して、

参考にさせてもらっていたので、私の経験も日記がてら記そうと思う。

 

≪判明したきっかけ≫

実家を出てから、月経痛がほとんどなくなり、鎮痛剤も不要なほど。

「ストレスがないと、こんなところも好転するのか~」と思っていた。

しかし2016年春頃から、また鎮痛剤を使用するようになっていた。

ただ、鎮痛剤を飲めば忘れる程度の痛みだったため、

とくに気に留めることもなく、そのまま放置していた。

 

秋頃から頻尿になり、だんだん仕事にも集中しにくくなってきたため、

何科にかかろうかググっていたところ、婦人科の病気で出やすい症状との記載が。

月経痛が急に重くなる・腰痛・月経時以外の下腹部痛など、

思い当たる要素が多かったため、2017年に入ってから婦人科を受診し判明。

 

今から思えば、大学生の頃は月経痛がもっとも酷く、

手のしびれや身体の震えが起こるなど、救急車を呼ぼうと思ったこともあった。

当時、病院では発覚しなかったが、あのときにも今回の腫瘍はできていたのかも。

 

≪病名の確定≫

いちばん最初にかかった小さな病院では、

7cm大の子宮筋腫があり、卵巣も4cm程度に腫れていると、すぐに指摘。

手術の可能性が高いので、大病院に紹介しましょうと言われた。

 

あまり信じたくない気持ちもあり、翌日に別病院にてセカンドオピニオン

そこでもほぼ同様のことを言われ、仕方なく大病院に紹介してもらった。

その時点が1月末。

 

はじめて大病院にかかったのが2月の初旬。

初診では、前の病院でやったのと同じ検査しかせず、何の結論も出ず、

MRI検査の予約を取るのみで終わり、「私の有休を返せ」と思った。

 

2回目はMRI検査の結果が出た後で、

最大10cmの子宮筋腫をはじめ、多発性のものであることが発覚。

おそろしいことに、「ひとつは典型的ではない画像の写り方で、

悪性か良性かの判断が画像では判断がつきません。

それが子宮筋腫なのか、卵巣の腫瘍なのかも分かりません。

最終的には、手術しないと分かりません」と言われたのだった。

 

正直、2つの病院で手術必要との判断だったので、それは諦めていたが、

まさか「なにか分からない」と言われるとは思っていなかったので、こわかった。

それにMRI画像は素人目で見ても、明らかに健康体な人間のものではなく、

腫瘍の大きさにも数にも、もう、うわー、としか言いようのない気分だった。

 

その後も、血液検査をしたりレントゲンを撮ったり、いろいろと検査をし、

CTの結果、なにか分からないと言われていたものは卵巣の腫瘍の可能性が高そう…というところまで判明し、

いざ手術となったのだ。ここまで要したのが2か月。

 

手術日決定まではいろいろあって…。

はじめ、担当医は「良性の可能性が高ければ半年後の手術」と言っていたのだが、

婦人科内で協議した結果、「悪性の可能性がある以上早めにしよう」となったらしく、

実際は、4月上旬に手術となった。

 

≪会社への報告≫

大病院に紹介してもらう段階で、手術入院の可能性があることを上司に報告。

ネットで体験談を見ると、術後1か月くらいは休まなきゃいけなさそうだし、

人員の補充や引継ぎなどを考えると、

早めに言っておいた方が迷惑がられずに済むだろうなという打算もあり。

 

ひとによっては、病名を知られるのがいやというのもあるらしいが、

私はそんなのは全然なかったので、上司と、病名を聞いてきた人には伝えた。

わりと、自分の親や配偶者が経験している人も多くて、

「ああ、それかー。よくある病気なんだね」ぐらいの反応。

 

あとは人事に相談し、傷病手当金や高額医療制度の使い方を教えてもらったり、

欠勤の手続きをしたり、という事務的な作業をおこなった。

社内の慶弔制度で、病気療養もいくらか頂けるというのを初めて知った。

(結婚と家族の死去だけだと思っていた)

 

思っていたより長々となってしまったけれど、

入院・手術~退院までは、またあとで書きます。

 

病気については、いろいろな本を図書館で借りましたが、

私はこの本がいちばん読みやすかったです。