※Progress Report京都公演のMCに関する記載を一部含みます※
公演前のインタビューでは「演劇のような観せるライブに」と語っていたが、
京都までの2会場でそれは無理だと気付いたらしい。
コロナ禍により”自粛”され、約10か月ぶりのワンマンライブ。
このときを待ち望んでいたファンの盛り上がりは、いくら落ち着いたセトリといえども止めようがない。
当初想定していた雰囲気と違うとぼやきながらも、そこまで熱望されていることに嬉しそうな表情を見せるメンバーに、こちらも温かい気持ちになる。
今回はアルバムのリリースツアーではないとはいえ、直前に発売されたばかりの「FRAGILE」がメインとなっている。
前作の「The Naked Blues」のときにも全曲語りをしたのだが、今回もやっていこうと思う。
(引用の歌詞は好きなフレーズで、必ずしもサビではないです)
atamanonaka.hateblo.jp
LAMP IN TERREN - FRAGILE (Album Trailer)
1. 宇宙船六畳間号
たとえ君にとっての一部でも
気持ちと想像で君の形に触れるんだぜ
「FRAGILE」というアルバム自体が、コロナ禍という状況下だからこそ作られたものだというのはインタビューで語られているが、中でもこの曲にいちばんそれが色濃く表れていると思う。
生身で会うことができなくても、オンライン上に残されたあれこれやそこから想像することを通じて繋がっていけるという感覚は、程度の差はあれ現代人みんな持っているのではないかと思う。
たとえば私も、週に5日8時間以上を同じ場所で過ごす同僚よりも、毎日その呟きを眺めているタイムライン上でしか知らない人たちを身近に感じるのだ。
”そちらはいかがお過ごしですか”という呼びかけから始まる歌詞、そしてメンバーすら驚くような早い段階でデモがYouTubeにアップされたという経緯からも、リスナーへと向けられたまっすぐで温もりのある視線を感じる。
余談だが、このコロナ禍の期間中、弾き語りをしたり雑談したり料理したりとこれまで以上に配信をたくさんしてくれていたのも、ファン思いだなあと嬉しかった。
LAMP IN TERREN - 宇宙船六畳間号 (demo - Short ver.)
ふわふわとした漂うような音が心地良く、浮遊感の中そっと手を伸ばすようなイメージが浮かぶ。雰囲気ががらっと変わる間奏が好き。
2. Enchanté
正しくなくたっていい
心のままの君と空に落ちたい
タイトルは フランス語で”はじめまして”。
前になにかで「テレンのベースはもはやギター」みたいな話をしていたけど、この曲がそんな感じかなあと思う。メロディアスできれい。
空と風の印象が強いからだろうか、この曲から想像するのは”自由”という言葉だ。変化していくこと、可塑性があること。それが、何物にも縛られずに軽やかに飛んでいく”自由”なイメージに繋がっているのかもしれない。
身体の細胞は日々新しくなっていき、数年も経てばすべて入れ替わるなんていう話があるが、それと同じように心も日々移り変わっていく。
その変化の結果として、吹き飛ばされるように抗いがたく進んでいくにしろ、えいやっと自ら飛び込んでいくにしろ、自分でも思ってみなかったような世界に”はじめまして”することは、いつも不安と高揚を孕んでいる。
新たな世界へ踏み込んだ君はもう、以前の君ではないし、私にしてもそれは同じこと。
だから私たちは出会うたびに何度でも”はじめまして”を繰り返すのだ。
LAMP IN TERREN - Enchanté (Official Music Video)
迷いなく一色に染まった抜けるような青空ではなく、たくさんの白い雲が浮かんだ淡い空を背景にしたMVというのが曲の雰囲気に合っている。
3. ワーカホリック
でもたまにそんなときに限って
都合の良い幸福が降ってくんのよ
もうちょっとだけ耐えてみようって思わせやがる
サラリーマンの友人に向けて作った曲ということで、同じように会社員をやっている身としては嬉しい。ゆったりめの曲が多い今作の中ではアグレッシブな方で、ライブで腕を振り上げるのが気持ちよかった。
働きはじめてからまだ10年も経っていないけど、それでももう労働することに倦んでいる。異動して転職して周囲の環境が多少変化したとしても、週5日働いて2日休むというサイクルをこの先何十年も続けていくことは、意識してしまうと耐えがたく思えるから、そのことはなるべく考えないようにする。
ひどく起きるのがつらくてスヌーズを何度も作動させる朝、疲労感でいっぱいで眠るだけで終えてしまった休日の夜。何のためにこんなにがんばって働いてるんだろうって自問がふと頭をよぎる。
それでも、なんとか生き延びている。
引用した歌詞に心底共感するのだけど、ほんのたまに都合の良い瞬間に降ってくる幸福があるのだ。だから、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、と引き延ばせてしまう。多分これからも。
車のエンジンをかける音や目覚まし時計のベルといったSEが効果的に使われていて、臨場感、没入感を高めている。特に”大人にならなきゃ もう支度しなくちゃ 身嗜みは崩さす急いでいかなきゃ”という畳みかけるような歌詞のあとの溜息のリアルさがすごい。
4. EYE
汚れた自分が嫌いだった
慌てて洗った 自分さえも殺した
その姿で何が愛せるだろうか
今作のリード曲。
LAMP IN TERREN - EYE (Official Music Video)
外出自粛が謳われる中、”この機会に自分の内面に向き合いましょう”というようなムーブがあり、でもそんなことをしていたら自分の嫌なところばかり目について死にたくなってしまうと思った、という大さんのインタビューやMCにとても納得感があった。
自分の内面に向き合えば向き合うほど、このままではいけない、こんな自分のままではいけない、と窒息しそうになるその感覚が自分のものとして解る。
そうして自分に駄目だしをすることが成長につながるのだと信じて、その苦痛は耐えて乗り越えなければならないのだと思っていた20代半ばの頃の自分を思い出す。
今でもそう思っているところはどこかに残っていて、苦しくなるから内側に目をやることを避けているのを逃げだと感じることもある。
だから、”見つめるべきはきっと僕じゃなくていい 初めから他の誰でもない筈だから”と言われるとほっとする。
誰かの視線のフィルタを通して自分を見つめてジャッジするのじゃなくて、心のままに生きていきたい。
5. 風と船
もう隠そうとしないでよ
弱音ぐらい話せよ 同じ僕でしょ
そうして最後はこの手で優しく掬ってあげられますように
曲作りもメディアへの露出も自分ばかりだと独りな気持ちのときに作ってボツにしていたのを、その経緯を知らない他のメンバーたちが数年を経てアレンジして持ってきたというエモすぎるエピソードがある曲。
心を許していないからではなく、親しい相手にほど弱音を吐くことができないし知らないままでいてほしい。こうありたいと望む姿があるから、それにそぐわない自分の弱さを受け入れることができずに自分を責める。
単なる見栄だと言ってしまえばそれまでなのだが、自分を大きく見せたいがためではなく、疵を見えないように隠そうとする努力は果てしなく孤独で、より傷を深めるようにさえ感じる。
自分が自分の味方になることが自然にできなかった人間としては、引用した歌詞の包み込むような優しさに胸が撃ち抜かれる。
疲れきってどうしようもなくなったときに聴くと涙腺が崩壊すること間違いなし。
6. チョコレート
上手に嘘ついたらご褒美ひとつ
夢心地のままふたりでいよう
大さんの声の持つ色気が遺憾なく最大限に発揮された1曲。
これまでの曲の中でいちばん恋愛色を強く感じるが、タイトルからイメージする甘さよりも、どろりと溶けたビターなチョコレートに沈んでいくような感触が残る。
ここで描かれる”嘘”というのは、相手との間のものだけではなく、自分に対してつくものでもあるのだろう。恋は盲目といわれるが、都合の良い面しか見なかったり、いやな部分から目を背けたり、不安を感じながらも信じたりして、そういうのもある種の”嘘”だから。
何もかも本音で話し合って成立する関係なんて無いとは知っていても、嘘をつくことはうっすらと罪悪感をうんで疲弊させる。それでも嘘をつくのは、関係性が壊れないように壊れないようにという願いのひとつの形なのだろう。
7. ベランダ
ごめんね 傍に来て 傍に居て
個人的には今作でいちばんライブで化けた曲。
試聴会のときに「間奏で視点が空に昇っていく感じ」と言っていて、もちろん音源でもそれは分かるのだが、ライブではその光景がさらに鮮明に思い浮かんだ。生音の表現力ってすごい。
そして、この視点の移動の描き方はとても映像的であるように思う。
小説大好き人間としては、音楽に関しても歌詞を物語として読んでしまったりするのだが、その目線で見ると違和感がある。前半も後半も明らかに同一人物の一人称視点のはずなのに、”この雨を見下ろす星になれたら”と歌う後半の視点は幽体離脱のように、ベランダで外を眺めていた人物の身体を離れて宙にあるからだ。
しかし、映像として捉えると「カメラを引く」という動きが自然と見えてくるのでぱちりとハマるのが面白い。
8. いつものこと
何故自分で命を捨てちゃいけないって皆言うんだろう
黙っていても奪われるだけなのにって僕は思うよ
だからどうって訳じゃない そう思っていたいだけだよ
それだけでさ歩けるんだよ 僕はそうなの
はじめて聴いたとき、この歌詞に撃ち抜かれた。
「死ぬ気になれば何でもできる」なんて安易な言葉は大嫌いだが、その選択肢を持っていることを思うだけで歩いていけるというのが解りすぎて、自分の心の中にあったものをすぱっと言語化された心地良さと、自分だけではないんだという安堵感があった。
LAMP IN TERREN - いつものこと (Official Music Video)
ステージの上に立つ人間として、特別な存在でいなければならないと思っていた。だから、自分の平凡でしかない日常を歌にするのがずっと怖かった、とMCで大さんは言った。
いちリスナーとしては、前作の「BABY STEP」とこの曲で、大さんのことをとても身近に感じられるようになったと思う。
クリエイターではないから、その産みの苦しみは想像することしかできないけれど、目に見えた成果が表れず、無為に感じる日々の積み重ねがあるのだろうなと思う。
ああ今日も何もできなかったなというその感覚は、矮小な例えかもしれないが、前日まではあれをしようこれをしようと考えていたのに、ぼんやりと寝そべったまま過ごしてしまった休日に感じる虚しさに、もしかしたら少し似ているのかもしれない。
そんな無意味で無為かもしれない時間もたしかに自分の日常で、それを”ね、綺麗でしょう”という歌詞で締めるところが素敵。Bloomの公演のとき、このフレーズをリフレインするのがものすごく良かったのを覚えている。
9. ホワイトライクミー
生きる意味なんて物に囚われてしまわぬように
目の前にあるものと手を繋げますように
出だしのギターに妙な中毒性があって、たまに頭の中でループしはじめる曲。
サビまでの溜めが長めなので、サビに辿り着いたときの解放感が気持ちいい。
LAMP IN TERREN - ホワイトライクミー (Official Music Video)
改めて歌詞カードを読んでいると夜空の藍色のイメージなのだが、いざ音楽を聴くと、タイトル通り、発光して色が飛んだ白の印象になるのが不思議。
生きている意味を考えはじめると、どこまでも漠然とした壮大な話に飛び立っていってしまう。そういうことを考えるのが大抵ネガティブになっているときだというのも相俟って、ロクな結論にたどり着くことがない。
生まれてきた意味や生きる意味なんていうのは所与のものとして存在するわけではなくて、だから規模の大きい話からは何も得られない。好きな人、好きなもの、好きなこと、そんな身近にある大切な物事が私たちを生かす。
地に足を付けるってそういうことなのかもなあと思ったりする。
10. Fragile
その声で僕は何度でも息を吹き返す
それだけでいいよ 何度も羽ばたける いつも
今作の中でいちばん好き。ドラムのシャープな音が冴えている。
ローテンポかつ音もシンプルなので全体的にダークさが漂う曲なのに、そこから得られる感情は決して暗くはない。
むしろ、深呼吸で肺がふくらむように、胸の裡でゆっくりと力が広がっていくような感触がする。
いちばん最初に曲の出だしを聴いたとき、音の雰囲気は前作の「I aroused」を彷彿させた。どちらも暗闇の中から始まるのだが、そこから脳裏に浮かぶ風景は異なる。
「I aroused」で印象に残るのは闇ではなく、その中に滲むぼんやりとした光や”目を覚ました”あとに広がる世界。対して「Fragile」は無重力の中で目を閉じて浮遊しているような感覚で、最後まで暗闇に包まれる、あるいはその中に溶けていく。
また、「I aroused」は自分に、「Fragile」は他者との繋がりに焦点が置かれているのも大きな差異だろう。それを踏まえたうえで、曲のイメージとして、前者が光、後者が闇というのは面白いなと思う。
人間はひとりだ。どこまで行ってもひとりのままだ。それでも、例えたった一人で暗闇の中にいても、ひとりとひとりで手を繋ぐことはできる。ひとりのまま、ひとりではなくなるのだ。”異常である事が普通”なこの世界でそれは力になる。
…と、ここまで超長文を書き綴ってきたのだが、これを書かなければと思ったのは京都での大さんのMCがあったからだった。
ライブの記憶は「楽しかった」以外は消えがちなので、ニュアンスが違うところがあるかもしれないけれど。
このコロナ禍で、音楽をはじめとするエンターテイメントが"不要不急"だと、必要不可欠ではないのだとばっさり切り捨てられたそのことは、私たちが想像していた以上にそれを生業としている人たちを深く傷付けたのだろうことをひしひしと感じた。
出会えてよかったと思ってほしい、もっと必要とされるようになりたい。そんな祈りみたいな言葉に、もう既に十分必要としてるんだよって叫びたかった人は私以外にもいっぱい居たんじゃないだろうか。
こんなにも胸がいっぱいなんだよ!!とかぱっと開いて見せられたらいいけど、そんなことはできないから言葉にしなきゃと思って書いてたらこんな長文になった(さすがに長すぎだろと自分でも思う)。
1人で生きていくつもりも、自分たち4人だけで生きていくつもりもない、聴いてくれるあなたたちと一緒に生きていきたい。音源だと遠く感じるかもしれないけど、ここに居る俺を見て覚えていて。今ここに居るこのままの姿で隣にいて歌っていると思ってほしい。
マイクを通さずにそのままの声で話す大さんの言葉がとても嬉しかった。
いろんなシチュエーションでテレンの曲に触れてきた。
月曜日の通勤電車の中、ランチタイムの昼寝BGM、仕事で失敗した日の帰路、ライブ後の余韻で口ずさむ月明かりの道。
曲と一緒にいろんな記憶が残っている。多分そのときに何も聴いていなければ忘れてしまっていたような些細なことも覚えている。あの日あのときに救われたことや楽しかったこと、そのときの感情を鮮やかに覚えている。
ライブのほんの一瞬のように消えてしまう時間の煌めきに、大丈夫、これからも生きていける、といつもいつも思う。この瞬間のために働いて生きているんだって躊躇いなく言えてしまう。
それはもう紛れもなく、一緒に生きているってことでしょう。テレンの音楽が無い生活が想像できないくらいに、すでに日常の中に溶け込んでいる。
いつも私の日々を支えてくれて本当にありがとう。これからもどうぞよろしく。