幸福とは正義とは何なのかを問う原点回帰 / PSYCHO-PASS PROVIDENCE

**本シリーズについてのネタバレがあります**

**3期は放映当初途中脱落したのでこれから見ます**

 

正直、あまり期待していなかった。

1期が至高すぎて、それ以降の作品にはハマりきれず、今回もきっとそうなんだろうと高を括っていた。

覆された。製作陣が「集大成」「原点回帰」と謳うに相応しい作品だった。

 

1期からテーマに据えられている「何をもって幸福とするのか」が再び問われる。

シビュラシステムとはいわば、最大多数の最大幸福を目的とし、少数の犠牲を厭わない体制だ。潜在犯とされた者の人権や免罪体質者がuncontrolableであることは、安定した社会秩序の維持との間で天秤にかけられた結果、許容範囲として看過される。

大多数にとっては、それに従ってさえいれば、それぞれの特性に合わせてコーディネートされた「幸福な人生」を歩んでいける神託であり、敷かれたレールだ。

 

槙島と砺波。観客にとっては同じヴィランという立ち位置だが、シビュラに対する二人の思想は全く対極的である。

槙島は、自らの意思を放棄し、シビュラに盲目的に従う人間たちの在り方に対して、暴力的な形で疑問を投げかけた。

対して砺波は、数多の紛争を目の当たりにしてきた経験から、人間が人間を支配することが争いを生むのだと、機械による人間の統治を理想とする。

そして、二人の共通点であり、常守と決定的に異なる点は、白か黒か非常にはっきりした答えを持っていることだ。

 

常守はシビュラシステムの正体を知ってもなお、「今の社会はそれ無しで立ち行かない」と理性的な判断でもって、それを破壊するという選択をしなかった。

しかし彼女はシビュラを良しとしているわけではない。「いつか誰かが電源を落としにやって来る」「(シビュラを必要としない)新しい道を見付ける」と告げる。

彼女自身、まだ答えを見付けられていないのだ。だから、現状維持しつつ別の道を模索するという真っ当な正道を取った。

 

そして今作冒頭では、シビュラに判断を委ねるのであれば、人間が運用する必要性がなくなるとして、法の廃止が官僚たちの議論に上がっている。現状維持がもはや持たないところまで来てしまった。

 

『法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです』という台詞は、常守をよく象徴している。劇場版では「歴史に敬意を払いなさい」という台詞もあったが、慣習法としての「法」、歴史の上に積み上げられてきた、先人たちが考えつづけてきたことの結晶としての「法」に重きを置いている。

法を廃止するということは即ち、過去を捨てることであり、議論をやめることであり、思考を停止することであり、未来を放棄することなのだ。

 

だから彼女は殺した。それとも破壊した、と言った方が正確だろうか。

彼女自身があれを「殺人」として認識しているのかそうでないのか分からない。どちらにせよ、忌避していた法に則らない暴力を行使して、それでも「法」を守った。

おそらく彼女は今もまだ「ではどうすればいいのか」に至っていない。彼女が必死になってやっていることは単なる問題の先送りにしかならないのかもしれない。それでもまだ常守は、何か道はあるはずだと、人間を諦めていないのだ。

 

「何をもって幸福とするのか」。

砺波は、世界中が紛争状態に陥る中、唯一安全と秩序を保つシビュラシステム下の体制に「幸福」を見たのだろう。現に、劇場版のラスト、シーアンの民たちは選挙の結果として、シビュラを受け入れることを自身で選んだのだ。

しかしそれは平和ボケしているのかもしれない私たちには全く幸福には見えない。

槙島が魅力的なキャラクターとして映るのはきっとそのせいもある。

『自由意思こそが人間を人間たらしめる』。それを旗印に、ディストピア的な世界の中でその社会システムに反逆を起こすこと。それは本来SFでは「主人公」が置かれがちなはずのポジションだが、本作では槙島が担っている。

では「主人公」である常守は何をしたか?

彼女は足掻いている。より良い未来を探しつづけている。

白か黒かがはっきりしているところをゴールに向かって走り抜けるのは容易いことだ。道が険しかったとしても、行き先が定まっていさえすれば、前には進める。

しかし彼女はずっとグレーの中を泳ぎつづけている。どこにどうやって進むべきなのか見えないまま、自分が正しいと思うことを、自分が為すべきだと思うことを、ただ為す。

本当のところ何が正解か何が間違いかも分からず、正しいと思うことを握りしめるしかなくて、たとえ仲間がいても結局自分自身の責任を負えるのは自分自身でしかなくて。

そんな中で、砺波のように人間の善性を見限らず、槙島のように秩序の崩壊を良しとせず、かといってシビュラに自由意思を引き渡すことを肯定せず、本当に存在するのかも分からない道を模索している。

その不確かな中で葛藤しながら立っているのは強さがないとできないことで、だから常守は「主人公」なのだ。

 

狡噛に手紙を残したところは意趣返しなのか、似た者同士なのか。

相談せずに自分だけで結論を出して決断してしまうのは見習うべきところではないし、狡噛に謝ってほしかったと言ってた割りにやってること同じじゃんと思ったけど、それもまた「お前が正しいと思うことをやれ」という信頼に応えただけのことなんだろうか。

 

常守があの選択をしたラストシーンで全部持っていかれたなという感じで、評価爆上がりした。「主人公」にも手を汚させることを、敗北させることを厭わないのかと。

絶対的なのは真実だけで、正しさは相対的だというスピーチをそのまま体現したような、何が正しいのか足元が揺らぐようなラストシーンで。

彼女が行ったのは暴力に頼ったテロリスト的な行為といえば、それは間違いなくそうだろう。

ただ、「1人殺せば殺人で、100人殺せば英雄」あるいは「勝てば官軍」という言葉を思い出した。テロリストと革命家を隔てるものは一体何なのだろう。結局、その行為の是非を決めるのは結果がどうなったか、でしかないのか…?

 

正しいと信じる結果を得ようとして、自身でも分かっているだろうに正しくないことに手を染めた常守が苦しくて、彼女が慟哭するラストは呆然としてしまって、エンドロールでじわじわ泣いた。

 

エンディング曲、エンドロールで初聴だったのですが、はまりすぎててしんどい。


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夢から醒めても続いていくこれから / LAMP IN TERREN

2021/12/28、LAMP IN TERRENとして行われる最後のライブ。

 

会場に向かう新幹線の中で、自分の日記代わりになっている昔のツイートを遡って見ていたら、mol-74の武市さんのこんな呟きをリツイートしていた。

ほんとうにこれに尽きる。

 

今回のライブは"A Dream of Dreams"、"夢から醒めた夢"をタイトルに掲げたもの。

わたしは、夢が、奇跡が、ひとつ終わりを迎えるその瞬間に立ち会うために足を運んだのだ。そして、また新たな奇跡を生み出そうと踏み出す彼らの門出を祝福するために。

 

前日の配信で大さんが「しんみりしてほしくない」と言っていたのを聞いてて、そんな無茶な…と思って参加したが、実際しんみりする気持ちよりも満足感の方が圧倒的に大きくて、どうだった?と聞かれたら大声で「楽しかった!!」と手放しで言える。

もちろん淋しさはある。無いわけがない。それでもやっぱり、満たされた気持ちの方が勝るのだ。

 

そういう感想になったのは、セトリの構成が大きく影響したと思う。

手を上げたり手拍子したりして観客が参加しやすい選曲がされているのに加えて、曲を光/闇、白/黒に二分化したとすると、光・白の属性にあたる曲が選ばれているように感じた。人との繋がりとか、前に踏み出すことがテーマの曲たちというか。

単純に盛り上がりという点だけなら、よくライブでやっているほむらの果てとか凡人ダグが入ってもおかしくないような前半の流れだった。でも入っていなかったのは、そういう選び方なのかなと思ったり。

あとは懐古的に昔の曲が多くなったりしていなかったのも一因かもしれない。緑閃光をやらなかったのが「あれは"かつての"代表作だよ」という自信の表れなんだとしたら、ものすごく良いなと思う。最新のものがいちばんの自信作というのは前に進んでいることの証だから。

 

全体としてはそんな感じで、あとは備忘的に雑感を。

状況が状況だからか、過去のことが重なって思い出される瞬間がしばしばあって、これまでにない体験をしたライブでもあった。

 

01.いつものこと

ラストの歌詞を「きっとねいつか未来でまた笑って思い出せる」にアレンジしてたのはほんとにずるいし、「それが僕の全てだった」って過去形になってたのも地味に効いた。あんなのぶっ刺さるに決まってる。

02.地球儀

セトリに入るのは確実だと思ってたけど、2曲めは完全に予想外。ただ、この後の流れを知って振り返ると、この凄まじいテンポで走りだす火付け役はこの曲以外有り得ないなっていう納得感がすごかった。この曲は様々な会場でジャンプしたよね。

03.キャラバン

地球儀で息が上がってるところに投げ込まれて、ボルテージの上がるまま煽る声に合わせて拳を突き上げた。”バンド”がテーマにある曲というイメージがあるので、最後に4人の演奏を聴けてよかった。ラスサビ前の全部の楽器が対等に絡み合う感じが好き。

04.オーバーフロー

こんなご時勢じゃなかったら、全力でシンガロングしたかった!! 観客みんなが全力でステージに向けて手を伸ばした曲なんじゃないかと思う。大きな声を出せない分、全部この手から伝われ、って思ってた。

MC

大喜さんの脱退はびっくりしたけど、その後の「それならLAMP IN TERRENは終了する」という流れには全く違和感がなかった。むしろ、しれっと代わりに新しいドラムが加入して続いた方がショックだったかもしれないとさえ思う。MCのときに顕著に見える、あの長年の友達同士という下地がある関係性がテレンだという感覚だから。公式のインタビューにあった「一番根幹にあったのがメンバーと一緒に過ごしてきた記憶」というのが見てる側にも伝わってたんだと思う。

05.Dreams

多分やるだろうとは予想してたけど、やってくれて心底嬉しくて、前奏を聴いたとき、ぱあっと胸が躍った。近年のしんどかった時期をいちばん共にしてくれた曲だ。何回この曲をリピートして、何回「僕らは嵐に飛び込んでいく 今も輝いて心を呼ぶ光の方へ」の歌詞に救われたか分からない。

06.at (liberty)

予想外だった曲その1。繋ぎでこの曲が来るって分かった瞬間、息が止まりそうになった。めちゃくちゃ好きな曲なのに、片手で収まるくらいの回数しかライブで聴けてなかったので。たしかこの辺りで「未来の方を向いたセトリ」ってそういうことか、と思ったはず。

07.ホワイトライクミー

Bloodツアーのときにこの曲に見た”光”の印象があまりにも鮮烈で、いまだにライブで聴くたびにそのときの発光を追体験している気がする。サビまでの溜めが長めなのがめちゃくちゃ効いてて、一気にさあっと光が拡散していく感じ。

08.New Clothes

何回聴いても毎回新鮮に格好良くてびびる。「今が正しい未来」と言い切る歌詞が大好きで、”正しい道というものがあるのではなく、自分の行動で選んだ道を正しいものにしていく”という元上司にもらった言葉を思い出す。

09.Water Lily

リスナーに向けて歌われている感触が強く感じられて、ライブで聴くたびにどんどん好きになっていった曲のひとつ。間奏のギターが透き通って美しくて聴き惚れる。最後のロングトーンがめちゃくちゃきれいだった。

10.ベランダ

大事に思ってても上手くいかない関係性とかタイミングってあるよな…と切なくなる。これは穿ちすぎかもしれないけど、個人的にはこの日は大喜さんに対しての思いが混じってるように感じた。ラストの高音と地声の切り替えがたまらなく好き。

MC

大喜さんが挨拶で、メンバーに出会い、メジャーデビューし、大舞台に立っていることを「有り得ないこと」だと言っていて、冒頭に書いていたバンドというものの奇跡の話だなあと思っていた。彼らが出会って、バンドを組んで、曲をリリースして、一方でリスナーがその音楽に出会って好きになって、たまたま同時代に生きていて、そのライブに来ているって、改めて考えてみるとすごい巡り合わせだ。

湿っぽいのはいやだから、と普段と変わらないようなやり取りをしていたけど、「お前やっぱ俺とバンドやっといた方がいいんじゃないの?」という冗談交じりの言葉に、それでも一滴の本音が混じっている気がして、ぐ、ってなったし、その後の「ばかっっ!」って叫びも、そんなので入るBABY STEPある??って笑いつつも、胸が詰まった。

11.BABY STEP

ドラムを中心に陣形を描いて曲に入るあの後ろ姿が好きだ。同期の淡い色の音が広がってからの、だん、と音の束が身体にぶつかってくる入りの力強さが好きだ。扉をひらくような開放感のある最後のコーラスの伸びが好きだ。言わずもがな歌詞が最高だ。この曲に出会えたことが自分のターニングポイントだった感ある。

12.林檎の理

予想外だった曲その2。これもほんとうに嬉しかった。テレンに最初に会ったのが”LIFE PROBE"だったから、その収録曲たちには特に思い入れがある。セトリの常連という感じではないからこそ、イントロで分かった瞬間の高鳴りが毎回やばい。意外と地球儀に次いで会場を湧かせる曲。

13.宇宙船六畳間号

やわらかく青い照明とゆったりしたテンポが相俟って、あれ、この曲ってこんなにもやさしくて美しかったっけ…?とぼんやり思いながら浮遊感に包まれた。語りかけられてる感が心地良い。「そう僕と君とで全てなんだ」の歌詞のときの大さんの表情、好きだった。

14.pellucid

曲名どおりに透明で澄んだ、テレンの中でいちばん繊細な手触りがする曲。なんとなく、しん、と冷えた空気が清浄な冬のイメージがある。いくら大切な人でも分かり合えないことの寂しさと、分かり合えないからこそ”分かりたい”と触れようとする温もり、その両方を感じる。

15.おなじない

バンドバージョン、ドラムが飛び跳ねてる感じで曲の可愛さが増してて好き。お気に入りの靴を履いたときの、どこまでも歩いていける心躍るような雰囲気。「僕は君と出会った 同じように見付けてくれた 君と未来に出会うために」の歌詞、この日に聴くと特別な意味を持って感じられた。

MC

終わりを意識してしまうからアンコールは無し、LAMP IN TERRENとしては確かに最後かもしれないけど、自分たちの人生は続いていくからそれを優先したい、と。

振り返ると、アンコール無しなのが残念に感じないくらい、ラスト3曲でストーリーが出来てて、きれいな締め方だった。

16.EYE

「見つめるべきはきっと僕じゃなくていい」の歌詞でぐっと伸ばされた大さんの腕が印象的だった。これも出来ればシンガロングしたかった。あの最後の声が重なり合うところ、ライブハウスでみんなで歌えたらすごいことになるんだろうなあ。いつかそんな日が来ればいいな。

17.I aroused

予想外だった曲その3。ここも、来た、と思った瞬間にテンションが上がると同時に、納得感が押し寄せてきた。この曲のイメージは、目を開いた先に未開拓な世界が果てしなく広がっている絵で、それがこのタイミングで演奏されることのエモさ。後々考えてみれば「目を覚ます」というフレーズが入っていて、まるで今回のライブタイトルに合うように作られた曲のようだと感じるくらいだ。

18.ニューワールド・ガイダンス

絶対ラストはこれしかないと思ってた。照明がばちばちに攻めてて、演出すげえ、ってなった。「それだけで僕は笑える 生きてゆける」という小さな歌詞変更がめちゃめちゃに刺さって、気付けば頭の中でリピート再生されている。

 

あとは思い出語りで、テレンとの個人的な転機を3つ。どれが欠けても、こんな長文を書くほどまでに好きにならなかったかもしれないと思うと、すべては巡りあわせだ。

2016年夏、Talking Rock Fesでテレンに出会った。メイとボイドが空に伸びていくように響いていたのを覚えている。好きだ、と思ってすぐに”LIFE PROBE”を手に入れて、繰り返し繰り返し聴いた。ただ、当時は他に推しバンドが居たこともあって、あくまで”きちんと追ってはいないけど好きなバンドのひとつ”くらいの立ち位置だった。

2018年春、活動休止の発表を見た。一度もワンマンに行かないまま、もし万が一復帰しないなんてことになったらいやだ、という思いで向かったMARCHツアーで”New Clothes”の虜になった。歌詞に心臓を的確に深く射抜かれたのに加えて、音楽がめちゃくちゃに格好良かった。復活したらちゃんと追おうと心に決めた。

2019年秋、Bloodツアー@京都。小さいキャパの会場で、なおかつ最前というこの上ない好条件でライブを体験する。聴覚だけで感じるのではなく、空間そのものに吞み込まれるような初めての感覚。この日で人生が変わったと言っても過言ではなくて、ぱあんと目の前がひらけたような気がしたのだ。「自分は自分のために生きていく」のだと降ってくるように理解した。あれから、とても息がしやすくなったように思う。

 

「望むまま。一度きりしかない人生だから、悔いの残らないよう楽しんで生きていこう」。

LAMP IN TERRENとして最後のステージに残された言葉はそのまま、私がテレンと出会って手に入れた生きていく指針そのものだった。

これまでと同じように、きっとこれからもテレンの音楽と一緒に歩いていく。「また会えるよ」というその言葉を信じて、いつかまた”Enchanté”する日を待っている。

子宮全摘した話

前回、子宮全摘することを決めた話を書いてから半年経ち、やっと手術が終わった。

atamanonaka.hateblo.jp

 

半年間何をしていたかというと、レルミナという薬剤を飲んでいた。

ホルモンを減らすことで、手術に向けて筋腫をなるべく小さくするためだ。

この薬は副作用が出やすいという体験談をネットでたくさん見ていたので、

飲み始めるまでは少々びびっていたのだが、

現れたのは寝付きの悪化による不眠のみだったので、睡眠導入剤で何とかなった。

副次的な作用として月経が止まるので非常に快適だった。

 

4年前の手術とほぼ同じ内容だったので、違ったところだけピックアップする。

atamanonaka.hateblo.jp

 

手術の環境面で違ったのは

①ロボットを使用した手術だったこと

②筋腫核摘出ではなく子宮全摘だったこと

で、それらが影響しているのか、4年という時間経過での技術進歩か分からないが、

前回より回復が早い実感がある。

 

前回と違ったところでいうと、こんなところだろうか。

【手術前】

・全摘でいいのか何回も確認を取られた

 不可逆な選択なので、医療裁判になるリスクもあると思うから、

 仕方ないのだろうと理解してるけど、ほんとうに繰り返し確認された。

OS-1を飲むように言われなかった

・除毛は自分でやるように言われてお風呂でやった

・着圧ストッキングは手術前には履かなかった(術後に履かせてくれていた)

・T字帯はNG(病院からの資料に「フィットパンツor T字帯」と書いてたのに…)

 ずれやすいからNGというので、急遽病院内のコンビニでこれを買った。

 https://www.hakujuji.co.jp/salva/products/diapers/dp02_01.html

 

【手術後】

・点滴が手の甲じゃなくて、腕だった

(手の甲はどうしても曲げてしまう部分で気を遣うので、腕で有難かった)

・酸素吸入は鼻の管だけで、意識戻ってすぐに取ってくれた

・着圧ストッキングによる足の痺れがない!!

 前回一、二を争うしんどさだったので、めちゃくちゃ助かった。

・痛みが前回より少ない!!

 手術当日の時点で、ある程度は寝返りっぽいことができたり、

 膝を立てて体勢を動かしたりということができた。

 起き上がることはできず、同じ姿勢で固まらざるを得ないとはいえ、

 たったそれだけの可動域でもあるとないとで大きく違う。

・術後2日で腰を曲げずに歩ける!!(まじか、と思った)

・腹の中に重りをぶら下げられているような引っ張られ感が少ない!!

 (とはいえ、そこそこ長時間動くと強まってくる)

・傷のテープの貼替えは自分でやる!?

 前回は勝手に剥がれるまで放置、剥がれたらそのままだったと思うのだが、

 今回は自分でテープの張替えをしなくてはならない。

 材質も、フィルムっぽいやつから布感のあるものに変わっている。

 お風呂に入って本当に沁みないのか不安すぎる。

 

今回も麻酔で意識失う直前まで、主治医の先生が「大丈夫」と声を掛けて

力強く手を握ってくれたのが、ほんとうにありがたかった。

ベストを尽くすという思いがそこから流れてくるようだった。

「気持ちが伝わる」というのはああいうことなんだなと思う。

 

正直、術後の経過が前回よりイージーだったので、

これで今後の月経から解放されると思うとラッキーだったな…とさえ思う。

 

ただ、腸閉塞になる可能性もあるような手術ではあって、

食生活とか運動とかは従来より気を付けた方がよさそうなので、

なにもかもがパーフェクトとは行かないけれど。

(前回の手術の癒着も強かったと聞いたので、腹関係の手術はもうしたくない…)

子宮全摘することにした話

以前、子宮筋腫の筋腫核手術をした。

多発性だったため、全部を取ろうとすると出血が多くなってリスクが高まるということで、大きいものだけを摘出し、小さいものは残して経過観察しましょう、との結論で。

 

それから4年。半年に1回くらいで通院して検査を受けてきたけど、ついに手術を考える大きさまで成長してしまった。

じわりじわりと大きくなっていっていたから、いつかはこの日が来るのだろうなとは思っていたけど、4年は想定していたより早かったなあ…というのが正直なところ。

 

医師から提示されたのは

①症状が無いうちは手術は保留

②前回同様、筋腫核手術をする

の2つだった。

 

今の大きさでも、腹腔鏡はぎりぎりで、開腹になる可能性もあるという話だったので、まず①はあり得なかった。

筋腫は大きくなる一方で、今は症状がほとんど無くても、いつかは症状が出てくるかもしれないし、時間が経つほど開腹手術になる率が上がるのであれば、腹腔鏡で収まりそうなうちに処理してしまいたかったからだ。

 

そして②も微妙だなというのが率直な感想だった。

現在30代前半で、閉経まではかなり時間がある。前回の手術からたった4年しか経っていないことを考えると、今後も同じペースで手術になる可能性があるのは受け入れがたかった。

 

出産しないと決めている人間にとって、子宮はただただ面倒事をもたらす臓器でしかない。この際、子宮ごと手術で取ってもらう選択肢はないのだろうか、筋腫核手術と比較したときのメリット・デメリットを教えてほしい、と医師に伝えた。

 

医師からの回答は、おおまかには

≪メリット≫

・筋腫核手術よりも切る範囲が少なく済む

・9割以上の可能性で腹腔鏡でできる

・再発はなくなる

≪デメリット≫

・妊娠出産ができなくなる

という内容で、私にとってはデメリット0じゃん!となり、子宮全摘してもらうことに決めた。

(しかも月経が今後無くなるっていう大きいメリットもあるし!)

 

卵巣を残すため、ホルモン分泌には影響なく、骨粗鬆症更年期障害にはならないはずではあるけど、ネット上の体験記を読むと更年期障害に近いような体調の崩し方をしている人も多そうだから、不安がなくはない。

でも今後手術を3回も4回も繰り返す可能性があるのに、希望的観測でそれを無視するのはできないな、という気持ちの方が強くて、この結論に至った。

 

前回の手術時、このブログに手術記を書き残していたのだが、そのときの自分に背中を押される部分もあって、記録しておいて良かったなあと思う。

今ある筋腫がまた大きくなってしまったらまた手術になるけど、

これぐらいの苦痛・苦労なら全然耐えれることが分かり、ちょっと気楽。

4年前の私がこう言ってることだし、まあ大丈夫でしょう。

 

一緒に生きていくこと / FRAGILE (LAMP IN TERREN)

※Progress Report京都公演のMCに関する記載を一部含みます※

 

公演前のインタビューでは「演劇のような観せるライブに」と語っていたが、

京都までの2会場でそれは無理だと気付いたらしい。

コロナ禍により”自粛”され、約10か月ぶりのワンマンライブ。

このときを待ち望んでいたファンの盛り上がりは、いくら落ち着いたセトリといえども止めようがない。

 

当初想定していた雰囲気と違うとぼやきながらも、そこまで熱望されていることに嬉しそうな表情を見せるメンバーに、こちらも温かい気持ちになる。

 

今回はアルバムのリリースツアーではないとはいえ、直前に発売されたばかりの「FRAGILE」がメインとなっている。

前作の「The Naked Blues」のときにも全曲語りをしたのだが、今回もやっていこうと思う。

(引用の歌詞は好きなフレーズで、必ずしもサビではないです)

atamanonaka.hateblo.jp

 


LAMP IN TERREN - FRAGILE (Album Trailer)

 

1. 宇宙船六畳間号

 たとえ君にとっての一部でも

気持ちと想像で君の形に触れるんだぜ

「FRAGILE」というアルバム自体が、コロナ禍という状況下だからこそ作られたものだというのはインタビューで語られているが、中でもこの曲にいちばんそれが色濃く表れていると思う。

 

生身で会うことができなくても、オンライン上に残されたあれこれやそこから想像することを通じて繋がっていけるという感覚は、程度の差はあれ現代人みんな持っているのではないかと思う。

たとえば私も、週に5日8時間以上を同じ場所で過ごす同僚よりも、毎日その呟きを眺めているタイムライン上でしか知らない人たちを身近に感じるのだ。

 

”そちらはいかがお過ごしですか”という呼びかけから始まる歌詞、そしてメンバーすら驚くような早い段階でデモがYouTubeにアップされたという経緯からも、リスナーへと向けられたまっすぐで温もりのある視線を感じる。

余談だが、このコロナ禍の期間中、弾き語りをしたり雑談したり料理したりとこれまで以上に配信をたくさんしてくれていたのも、ファン思いだなあと嬉しかった。


LAMP IN TERREN - 宇宙船六畳間号 (demo - Short ver.)

ふわふわとした漂うような音が心地良く、浮遊感の中そっと手を伸ばすようなイメージが浮かぶ。雰囲気ががらっと変わる間奏が好き。

 

2. Enchanté

正しくなくたっていい

心のままの君と空に落ちたい

タイトルは フランス語で”はじめまして”。

前になにかで「テレンのベースはもはやギター」みたいな話をしていたけど、この曲がそんな感じかなあと思う。メロディアスできれい。

空と風の印象が強いからだろうか、この曲から想像するのは”自由”という言葉だ。変化していくこと、可塑性があること。それが、何物にも縛られずに軽やかに飛んでいく”自由”なイメージに繋がっているのかもしれない。

 

身体の細胞は日々新しくなっていき、数年も経てばすべて入れ替わるなんていう話があるが、それと同じように心も日々移り変わっていく。

その変化の結果として、吹き飛ばされるように抗いがたく進んでいくにしろ、えいやっと自ら飛び込んでいくにしろ、自分でも思ってみなかったような世界に”はじめまして”することは、いつも不安と高揚を孕んでいる。

 

新たな世界へ踏み込んだ君はもう、以前の君ではないし、私にしてもそれは同じこと。

だから私たちは出会うたびに何度でも”はじめまして”を繰り返すのだ。


LAMP IN TERREN - Enchanté (Official Music Video)

迷いなく一色に染まった抜けるような青空ではなく、たくさんの白い雲が浮かんだ淡い空を背景にしたMVというのが曲の雰囲気に合っている。

 

3. ワーカホリック

でもたまにそんなときに限って

都合の良い幸福が降ってくんのよ

もうちょっとだけ耐えてみようって思わせやがる

サラリーマンの友人に向けて作った曲ということで、同じように会社員をやっている身としては嬉しい。ゆったりめの曲が多い今作の中ではアグレッシブな方で、ライブで腕を振り上げるのが気持ちよかった。

 

働きはじめてからまだ10年も経っていないけど、それでももう労働することに倦んでいる。異動して転職して周囲の環境が多少変化したとしても、週5日働いて2日休むというサイクルをこの先何十年も続けていくことは、意識してしまうと耐えがたく思えるから、そのことはなるべく考えないようにする。

 

ひどく起きるのがつらくてスヌーズを何度も作動させる朝、疲労感でいっぱいで眠るだけで終えてしまった休日の夜。何のためにこんなにがんばって働いてるんだろうって自問がふと頭をよぎる。

それでも、なんとか生き延びている。

引用した歌詞に心底共感するのだけど、ほんのたまに都合の良い瞬間に降ってくる幸福があるのだ。だから、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、と引き延ばせてしまう。多分これからも。

 

車のエンジンをかける音や目覚まし時計のベルといったSEが効果的に使われていて、臨場感、没入感を高めている。特に”大人にならなきゃ もう支度しなくちゃ 身嗜みは崩さす急いでいかなきゃ”という畳みかけるような歌詞のあとの溜息のリアルさがすごい。

 

4. EYE

汚れた自分が嫌いだった

慌てて洗った 自分さえも殺した

その姿で何が愛せるだろうか

今作のリード曲。


LAMP IN TERREN - EYE (Official Music Video)

外出自粛が謳われる中、”この機会に自分の内面に向き合いましょう”というようなムーブがあり、でもそんなことをしていたら自分の嫌なところばかり目について死にたくなってしまうと思った、という大さんのインタビューやMCにとても納得感があった。

 

自分の内面に向き合えば向き合うほど、このままではいけない、こんな自分のままではいけない、と窒息しそうになるその感覚が自分のものとして解る。

そうして自分に駄目だしをすることが成長につながるのだと信じて、その苦痛は耐えて乗り越えなければならないのだと思っていた20代半ばの頃の自分を思い出す。

 

今でもそう思っているところはどこかに残っていて、苦しくなるから内側に目をやることを避けているのを逃げだと感じることもある。

だから、”見つめるべきはきっと僕じゃなくていい 初めから他の誰でもない筈だから”と言われるとほっとする。

誰かの視線のフィルタを通して自分を見つめてジャッジするのじゃなくて、心のままに生きていきたい。

 

5. 風と船

もう隠そうとしないでよ

弱音ぐらい話せよ 同じ僕でしょ

そうして最後はこの手で優しく掬ってあげられますように

曲作りもメディアへの露出も自分ばかりだと独りな気持ちのときに作ってボツにしていたのを、その経緯を知らない他のメンバーたちが数年を経てアレンジして持ってきたというエモすぎるエピソードがある曲。

 

心を許していないからではなく、親しい相手にほど弱音を吐くことができないし知らないままでいてほしい。こうありたいと望む姿があるから、それにそぐわない自分の弱さを受け入れることができずに自分を責める。

単なる見栄だと言ってしまえばそれまでなのだが、自分を大きく見せたいがためではなく、疵を見えないように隠そうとする努力は果てしなく孤独で、より傷を深めるようにさえ感じる。

 

自分が自分の味方になることが自然にできなかった人間としては、引用した歌詞の包み込むような優しさに胸が撃ち抜かれる。

疲れきってどうしようもなくなったときに聴くと涙腺が崩壊すること間違いなし。

 

6. チョコレート

上手に嘘ついたらご褒美ひとつ

夢心地のままふたりでいよう

大さんの声の持つ色気が遺憾なく最大限に発揮された1曲。

これまでの曲の中でいちばん恋愛色を強く感じるが、タイトルからイメージする甘さよりも、どろりと溶けたビターなチョコレートに沈んでいくような感触が残る。

 

ここで描かれる”嘘”というのは、相手との間のものだけではなく、自分に対してつくものでもあるのだろう。恋は盲目といわれるが、都合の良い面しか見なかったり、いやな部分から目を背けたり、不安を感じながらも信じたりして、そういうのもある種の”嘘”だから。

何もかも本音で話し合って成立する関係なんて無いとは知っていても、嘘をつくことはうっすらと罪悪感をうんで疲弊させる。それでも嘘をつくのは、関係性が壊れないように壊れないようにという願いのひとつの形なのだろう。

 

 

7. ベランダ

ごめんね 傍に来て 傍に居て

個人的には今作でいちばんライブで化けた曲。

試聴会のときに「間奏で視点が空に昇っていく感じ」と言っていて、もちろん音源でもそれは分かるのだが、ライブではその光景がさらに鮮明に思い浮かんだ。生音の表現力ってすごい。

 

そして、この視点の移動の描き方はとても映像的であるように思う。

小説大好き人間としては、音楽に関しても歌詞を物語として読んでしまったりするのだが、その目線で見ると違和感がある。前半も後半も明らかに同一人物の一人称視点のはずなのに、”この雨を見下ろす星になれたら”と歌う後半の視点は幽体離脱のように、ベランダで外を眺めていた人物の身体を離れて宙にあるからだ。

しかし、映像として捉えると「カメラを引く」という動きが自然と見えてくるのでぱちりとハマるのが面白い。

 

8. いつものこと

何故自分で命を捨てちゃいけないって皆言うんだろう

黙っていても奪われるだけなのにって僕は思うよ

だからどうって訳じゃない そう思っていたいだけだよ

それだけでさ歩けるんだよ 僕はそうなの

はじめて聴いたとき、この歌詞に撃ち抜かれた。

「死ぬ気になれば何でもできる」なんて安易な言葉は大嫌いだが、その選択肢を持っていることを思うだけで歩いていけるというのが解りすぎて、自分の心の中にあったものをすぱっと言語化された心地良さと、自分だけではないんだという安堵感があった。

 


LAMP IN TERREN - いつものこと (Official Music Video)

ステージの上に立つ人間として、特別な存在でいなければならないと思っていた。だから、自分の平凡でしかない日常を歌にするのがずっと怖かった、とMCで大さんは言った。

いちリスナーとしては、前作の「BABY STEP」とこの曲で、大さんのことをとても身近に感じられるようになったと思う。

 

クリエイターではないから、その産みの苦しみは想像することしかできないけれど、目に見えた成果が表れず、無為に感じる日々の積み重ねがあるのだろうなと思う。

ああ今日も何もできなかったなというその感覚は、矮小な例えかもしれないが、前日まではあれをしようこれをしようと考えていたのに、ぼんやりと寝そべったまま過ごしてしまった休日に感じる虚しさに、もしかしたら少し似ているのかもしれない。

 

そんな無意味で無為かもしれない時間もたしかに自分の日常で、それを”ね、綺麗でしょう”という歌詞で締めるところが素敵。Bloomの公演のとき、このフレーズをリフレインするのがものすごく良かったのを覚えている。

 

9. ホワイトライクミー

生きる意味なんて物に囚われてしまわぬように

目の前にあるものと手を繋げますように

出だしのギターに妙な中毒性があって、たまに頭の中でループしはじめる曲。

サビまでの溜めが長めなので、サビに辿り着いたときの解放感が気持ちいい。


LAMP IN TERREN - ホワイトライクミー (Official Music Video)

改めて歌詞カードを読んでいると夜空の藍色のイメージなのだが、いざ音楽を聴くと、タイトル通り、発光して色が飛んだ白の印象になるのが不思議。

 

生きている意味を考えはじめると、どこまでも漠然とした壮大な話に飛び立っていってしまう。そういうことを考えるのが大抵ネガティブになっているときだというのも相俟って、ロクな結論にたどり着くことがない。

生まれてきた意味や生きる意味なんていうのは所与のものとして存在するわけではなくて、だから規模の大きい話からは何も得られない。好きな人、好きなもの、好きなこと、そんな身近にある大切な物事が私たちを生かす。

地に足を付けるってそういうことなのかもなあと思ったりする。

 

10. Fragile

その声で僕は何度でも息を吹き返す

それだけでいいよ 何度も羽ばたける いつも

今作の中でいちばん好き。ドラムのシャープな音が冴えている。

ローテンポかつ音もシンプルなので全体的にダークさが漂う曲なのに、そこから得られる感情は決して暗くはない。

むしろ、深呼吸で肺がふくらむように、胸の裡でゆっくりと力が広がっていくような感触がする。

 

いちばん最初に曲の出だしを聴いたとき、音の雰囲気は前作の「I aroused」を彷彿させた。どちらも暗闇の中から始まるのだが、そこから脳裏に浮かぶ風景は異なる。

「I aroused」で印象に残るのは闇ではなく、その中に滲むぼんやりとした光や”目を覚ました”あとに広がる世界。対して「Fragile」は無重力の中で目を閉じて浮遊しているような感覚で、最後まで暗闇に包まれる、あるいはその中に溶けていく。

また、「I aroused」は自分に、「Fragile」は他者との繋がりに焦点が置かれているのも大きな差異だろう。それを踏まえたうえで、曲のイメージとして、前者が光、後者が闇というのは面白いなと思う。

 

人間はひとりだ。どこまで行ってもひとりのままだ。それでも、例えたった一人で暗闇の中にいても、ひとりとひとりで手を繋ぐことはできる。ひとりのまま、ひとりではなくなるのだ。”異常である事が普通”なこの世界でそれは力になる。

 

…と、ここまで超長文を書き綴ってきたのだが、これを書かなければと思ったのは京都での大さんのMCがあったからだった。

 

ライブの記憶は「楽しかった」以外は消えがちなので、ニュアンスが違うところがあるかもしれないけれど。

このコロナ禍で、音楽をはじめとするエンターテイメントが"不要不急"だと、必要不可欠ではないのだとばっさり切り捨てられたそのことは、私たちが想像していた以上にそれを生業としている人たちを深く傷付けたのだろうことをひしひしと感じた。

出会えてよかったと思ってほしい、もっと必要とされるようになりたい。そんな祈りみたいな言葉に、もう既に十分必要としてるんだよって叫びたかった人は私以外にもいっぱい居たんじゃないだろうか。

こんなにも胸がいっぱいなんだよ!!とかぱっと開いて見せられたらいいけど、そんなことはできないから言葉にしなきゃと思って書いてたらこんな長文になった(さすがに長すぎだろと自分でも思う)。

 

1人で生きていくつもりも、自分たち4人だけで生きていくつもりもない、聴いてくれるあなたたちと一緒に生きていきたい。音源だと遠く感じるかもしれないけど、ここに居る俺を見て覚えていて。今ここに居るこのままの姿で隣にいて歌っていると思ってほしい。

マイクを通さずにそのままの声で話す大さんの言葉がとても嬉しかった。

 

いろんなシチュエーションでテレンの曲に触れてきた。

月曜日の通勤電車の中、ランチタイムの昼寝BGM、仕事で失敗した日の帰路、ライブ後の余韻で口ずさむ月明かりの道。

曲と一緒にいろんな記憶が残っている。多分そのときに何も聴いていなければ忘れてしまっていたような些細なことも覚えている。あの日あのときに救われたことや楽しかったこと、そのときの感情を鮮やかに覚えている。

ライブのほんの一瞬のように消えてしまう時間の煌めきに、大丈夫、これからも生きていける、といつもいつも思う。この瞬間のために働いて生きているんだって躊躇いなく言えてしまう。

それはもう紛れもなく、一緒に生きているってことでしょう。テレンの音楽が無い生活が想像できないくらいに、すでに日常の中に溶け込んでいる。

いつも私の日々を支えてくれて本当にありがとう。これからもどうぞよろしく。

楽しいだけが音楽じゃない / The Naked Blues (LAMP IN TERREN)

※BABY STEP大阪公演のMCや演出に関する記載を一部含みます※

LAMP IN TERRENのライブは今、最高潮に素晴らしいのでみんな一度見てくれ、と心から思う。

昨年Vo.松本大声帯ポリープの手術をするのに伴い数ヶ月活動を休止していたのだけど、活動再開してから生まれ変わったかのように音楽もライブも格段にレベルアップを重ねている。

昨年12月にリリースされたアルバム「The Naked Blues」を引っ提げてのツアー中なので(といっても後はファイナルの東京だけだけど)、本当に一度足を運んでみてほしい。

このアルバムについて「ありのままの素裸」だと大さんは言った。
これまでは理想の自分、いわば本来の自分ではないものになろうとしてきたけど、そうではなくて、そのままの自分をさらけ出したのだと。
日記のような手紙のようなとも言っていた通り、真っ直ぐな彼自身がそこにいる。

これまでのアルバムも十分に良いし大好きなのだけど、今回のアルバムはずば抜けて最高です。
…ということで、このアルバム全12曲について語ります。
(引用の歌詞は好きなフレーズで、必ずしもサビではないです)


LAMP IN TERREN 4th Album「The Naked Blues」全曲Trailer -2018.12.5 Release-

なんと、ライブ1本分まるまるYoutubeに上がってます!! なんて太っ腹!!

LAMP IN TERREN - Tour BABY STEP (Live at LIQUIDROOM ebisu)

1. I aroused

眠るように私は目を覚ます あるがままで光る

夜道を歩くときに聴くのが個人的にはベストな曲。
自分の内側にふっと潜り込んだ先に世界が拓けている絵が浮かぶ。
煌々とした光ではなく、暗闇の中にぼんやりと滲む光に希望を見るような。

私たちは周りの人の目とか言葉とかいろんなものに影響を受ける。ある意味では惑わされると言ってもいいかもしれない。
そういうときに原点に立ち返るというか、もう一度自分自身の声に耳を傾ける。自分自分の望みを知る。そんなイメージ。


2. New Clothes

俺は恥ずべき裸の王様 そして新しく袖を通す
他の誰でもない俺が 選ぶ 歪な正しさに

1曲めからの音の繋ぎが最高に格好良い。
好きなMV、花と詩人と並んでツートップです。
エレベーターのドアがひらいて光が射し込んで曲名がぱーんと出てくるあのシーンは素敵すぎでしょ。

LAMP IN TERREN「New Clothes」Music Video

周りの期待に応えようと理想という名の鎧を身に纏って、本来の自分と理想との間に引き裂かれて。
痛々しいその姿が自分にも重なるからこそ、上に引用した歌詞がラストに来たときにカタルシスを得るのだと思う。


3. オーバーフロー

もういっそフルボリュームで叫ぶよ 君に愛されたい!

ライブでシンガロングするのがとても嬉しい曲。
真っ直ぐな歌詞ばかりのこのアルバムの中でもいちばんど直球。

LAMP IN TERREN - オーバーフロー (Live at 日比谷野外大音楽堂)

これはさらけ出したなあ!!って思った。
愛されたい、うん、そうだ。多分私もまた愛されたいとどこかで思ってる。
だから愛されたいと叫ぶあなたを眩しく思うし、愛したいし愛している。

2月のSEARCHのとき、大さんが「嬉しくて笑っちゃうわ」と思わず零れた感じの笑みで言った瞬間、幸福としか表現できない気持ちになった。


4. BABY STEP

僕が僕を好きになった瞬間から
世界は全ては変わっていくのだから
僕が僕として生きることこそが偉大な一歩目だから

ツアータイトルにもなっているリード曲。
最初に聴いたのは弾き語りだったのだけど、この歌詞で泣いた。

LAMP IN TERREN「BABY STEP」Music Video -4th Album「The Naked Blues」2018.12.5 Release-

そのときのMCで「真実よりも理想の方がきれいだと思う。それでもありのままの自分でいたい」というような話をしていたのがめちゃめちゃに胸に刺さって、その上でのこの曲だったからそりゃあ泣きます。

他人と自分を比べては何もかもが劣っているように感じて、ありのままの自分では足りないと否定して、周囲が期待される姿を演じてはそれが受け入れられる度に「求められているのは演じている自分の方なのだ」と負のスパイラルに陥っていく。自分でも自分が解らなくなっていく。
ああ、これは私だって思った。

自分自身を受け入れること、とりわけ駄目な自分や弱い自分を受け入れることは難しい。
だからこそそれは世界を変えてしまう程の偉大な一歩となるのだ。

ツアーのMCの言葉が忘れられない。この曲と共に、何度も思い出してはこれからの私を支えていくのだろう。
「自分のしていることを愛してあげてください、自分のことを愛してあげてください」
「駄目でも、駄目じゃないから」


5. 花と詩人

いずれ枯れるとしても 時計の針を戻しはしないよ
君のいない日々はもう僕じゃないから

MVが非常に素敵です。単純に映像としても美しいし物語性がある。
大さんディレクションと知り、そんなところにも才能が…と感嘆するなど。


LAMP IN TERREN「花と詩人」Music Video

歌詞だけを読むと恋愛をテーマにしたものに見えるけど、MVを観るとそこに描かれているのは音楽への愛なのだなあと感じる。
「愛している」なんていう陳腐な言葉でしか表せないのを歯痒く思う程の深い想い。


6. 凡人ダグ

あー何もないなら 踊るか もう
別にやりたいこともないしな 全部面倒くせぇや
あぁ どうぞ 笑ってくださいな

地球儀と並んで、通勤のときによく聴く曲ランキング1位。
テイストとしては全く対極にあるのが面白いところ。

LAMP IN TERREN - 凡人ダグ (Live at LIQUIDROOM ebisu)


水脈を掘り当てようと必死に地面にシャベルを突き立て、それでも掘り当てることはない。
自分にはもう何もないんだと自嘲しながらも、そのうち見返してやるからなとハッタリでも言ってのける、いっそ自暴自棄なくらいの感じがとても好き。

アルバムに付いてるDVDのインタビューで、これは自分を描いているのではないと大さんが言っていたのがかなり意外だった。完全にそうだと思ってたので。


7. 亡霊と影

どうか弱い僕にも 生きる意味がありますように

手術のことを書いた曲なんだなとすぐに分かった。
この曲の根底にあるのはおそらく喪失感。
これまでが全部夢だったように思える程の一瞬で、違う自分になっている。
怖かっただろうなあ。でももっと良い状態になってパワーアップして戻ってきてくれた。本当に良かった。

ちなみにこれ、ライブで聴くとベースが音源よりも更に格好良いです。


8. Dreams

それが夢だと知って 僕らは嵐に飛び込んでいく
今も輝いて 心を呼ぶ光の方へ

応援ソングというオファーだったけど、自分で自分の背中を押すような曲になったとのインタビュー。仕事でちょっと気合い入れなきゃいけない朝、私もまた背中を押してもらっている。

夢は遠くのキラキラとしたものとして置いておく分にはただただ綺麗な存在だけど、実際に近付いていこうとするとそこにあるのは茨の道。
それでもその先にある光に向かっていく姿がきらめきを発する。


9. Beautiful

消えると知っていて 命を放つ
暗闇を裂いて また次ぐ闇へ

個人的にはいちばんライブで化けた曲だった。
ハンドマイクで歌にも振りにも感情が思い切り込められていて息を飲んだ。
大抵のバンドでボーカルが作詞しているのはきっと、作詞者にしか出せない表現の深さがあるからなんだろうなと思わされる凄み。

一瞬だけ輝きを放って消えていく雷と、自身を重ね合わせた歌詞。
強さと儚さは両極端のようでいて表裏一体なのかもしれない。


10. おまじない

着飾っていても全ては
僕らしくあるため使う まじない

不意に気付いたら口ずさんでいる率の高い曲。
「おまじない」という言葉のチョイスがかわいい。

おまじないを唱えることは、自分の願いを言葉にすること。
こうなりたい、こうなってほしい、何を望むのかを形にすること。


11. Water Lily

寂しさはきっと愛しいもの
繰り返しながら埋めていくよ

これもまたMVが良いのです。

LAMP IN TERREN「Water Lily」Music Video

孤独を感じるのは一人ではないから。だからその寂しささえも誰かとの繋がりの証で愛しい。
そんなこと考えたこともなかったけど、言われてみればそうかもしれない。


12. 月のこどもたち

ひとりのままじゃ輝けない
僕はお日様じゃないの わかるから
だけどね 光るよ 君がいれば いつまでも

ツアーでこの歌詞を背を向けて光を見上げて歌う場面が照明の演出すごく良かった。

自分で光れなくても、月のように光を受けてそれを誰かに手渡すことはできる。
私たちはきっとそんな風に光を乱反射して互いを支えあっている。

いつもライブで、隣にいるみたいな気持ちでいる、支えになれたらいいと思ってる、と言ってくれる。この曲はその言葉を音楽にしたみたいな感じ。「想われている」という感触がする。


自分でも驚くほど長々と書いてしまったわけだけど、とにかく聴いてほしい!!という一心です。ファンが推さなくて誰が推すのだという一念。

以前、わーっと盛り上がって楽しいだけが音楽の楽しさではない、日々の苦しさや憂鬱を取り払ってくれることもまた音楽の楽しさなんだと言っていて、それこそがLAMP IN TERRENの良さだと思った。

暗い気持ちのときに無理にテンションを上げに来るのじゃなくて、憂鬱に寄り添ってほんの少しだけ手を引いて前に進む力をくれる、そういう音楽を必要としている人は私以外にも居るはずで、その人たちに届いてほしいと思う。

彼らが私を支えてくれる分、私も彼らを支えたいなー何が出来るかなーと思って、思いの丈をありったけ書いてみました。

youtubeで聴いてみて良いなと思われたら是非CDご購入を!!
製作についてのインタビューが付いた初回盤がおすすめです。

ちょっと初回盤は高いな…という方はCDのみのこちらを。

信じることにする、という意思 /関数ドミノ 

 大好きなイキウメの作品が外部プロデュースで公演されていたので、観に行ってきた。

これまでそこそこの量の観劇をしているつもりだが、その中でベストの作品だった。

 

**ネタバレ盛大に含みます**

 

【あらすじ】

「ドミノ」と呼ばれる、本心から願ったことがすべて叶ってしまう存在。

本人は無自覚だが、周りはその願いを叶えるために倒れてゆく駒となる。

まるでドミノの最初の一個のように、彼の願望が周囲に影響を及ぼしていくのだ。

 

主人公の薫は、いつも自分の近くにドミノが存在するせいで自分は割を食わされているのだとと嘆いている。

ある交通事故をきっかけに、ドミノである疑いの高い左門と知り合い、ドミノの存在を証明しようと彼の監視を始める・・・。

 

いきなりラストシーンのネタバレだが、

左門の周りでは「奇跡」としか言えないような出来事が起こり、ドミノの存在が証明されたかのように見えたが、実際はドミノだったのは薫の方だった。

「左門がドミノであることを証明したい」という薫の願いが、左門の周りでの奇跡を起こしていたのだ。

薫は自分がドミノの力で傷付けてしまった秋山を、ドミノで救おうとするがなにも起こらないまま幕が閉じる。

 

ドミノが起こるのは「本心から願ったことだけ」であり、

この人を救う「べき」だという良心からは発生しないし、空を飛びたいというような自分でも叶うと信じられないようなことは叶わない。

 

薫は、自分のドミノの力を信じられなかったのだ。

ドミノの存在を心から信じていることは、左門の周囲での奇跡を起こしたことで判明している。

彼は「自分が」ドミノであることを信じられなかった。あるいは信じたくなかったのだ。

 

他人がドミノであることを信じること。

それは、その能力もないのに不当に何かを得ている他者のせいで、自分が代わりに犠牲を負わされているのだと信じることでもある。

自分が得られなかったのは自分の責任ではなく、ドミノのあいつが居たせいなのだと。

 

薫は自分がドミノであることを受け入れられなかった。

自分が不遇なのは、ドミノであるにもかかわらず不遇だったのは、

己の心が己を不遇にしたことを意味するからだ。

 

薫がドミノであると判明する前に、秋山が薫に言ったことそのままだ。

いつか自分がドミノが回ってくるかもしれない、だからポジティブな願いを持つの。

薫はどうしてそんなにネガティブでいるの? と。

 

薫がドミノのせいで自分は犠牲になっていると吐露するのに対し、

なんでも他人のせいにするだめなやつだなと感じる一方で、それは自分にも覚えのある感情でもあって。だからラストシーンは教訓のようにも思えた。

 

心理学で、「悪いことが起きる」と信じていると行動がそれに引っ張られ、結果的に自分でそれを実現させてしまうという話がある。それを思い出したのだ。

 

劇中に何度も出てきた「信じることにした」という台詞。

信じることは、自分の意思でもあるのだ。

自分で「できない」と信じていれば、できるようにはなれない。

「できる」と信じることはできなくても、「できると信じることにする」ことはできそうな気もするのだ。

 

 

死にたいわたしを救うのもまたわたし / 爽やかな逃走 (CIVILIAN)

 9/1に子どもの自殺が増えるということで、

夏休みの最終日、NHKで特集番組をやっていたらしい。

その中で、わたしを救った音楽というテーマで何曲か取り上げられていたようだ。

 

大好きなバンド、Lyu:Lyu(現:CIVILIAN)の曲も上がっていたようで嬉しい。

その曲「ディストーテッド・アガペー」も大好きな曲のひとつなのだけど、

わたしの中でLyu:Lyu/CIVILIANの救われる曲No.1は「爽やかな逃走」。

 

行きたくないところへ、それでも行かなくちゃと苦しむ人のための曲。

歌詞がどこもかしこも共感できすぎて、引用しはじめたら止まらないのでやめる。

行かなくちゃと思ってるのに、身体が拒否してどうしようもない感じとか、

ここまでがんばる意味ってなんなんだろうって思ったりとか、

吐きそうなくらい理解できてしまう。

 

ライブでは終盤のこの歌詞にいっつも泣かされる。

いつの間に言えなくなったの 「嫌だ」とか「やりたくない」とか

誰に習ったの 我慢しなさいって

君の中で首を吊ろうとしている君を

君だけが止められるんだ

 

その渦中にいるときは「行かない」という選択肢は重大なもののようなんだけど、

死にそうな思いをしてまで耐えるようなことはないんだと最近は思う。

経験上、他人からすれば「逃げた」と言われるようなことを何度かやって、

それでもまあ生きていけるなって分かったから言えることだけど。

 

逃げるというのは簡単なことではなくて、

いろんな心理的な葛藤を乗り越えてようやくできること。

惰性と妥協と我慢で生きてるよりよっぽど行動的でいいと思うのです。

 

Amazonでたった¥270ぽっちでポチれるので、

試聴して声質が好みでないとかでなければ是非!!

子宮筋腫・卵巣嚢腫手術記 (術後5カ月)

サブテーマとして書いていた手術記がいちばん需要があるようなので、

手術のその後の話を書こうと思う。

 

手術後3週間で仕事復帰の予定だったが、

3週間ではふつうに歩くこともまだままならず、

少し動いただけで体力の消耗が半端ではない状態だったため、

「この状態で復帰しても使い物にならん!」と

上司に連絡して1週間延長してもらった。

 

たった1週間だが、その1週間がとても大きく、

比べ物にならないくらいさくさく動けるようになっていて、

(自転車も乗れるようになってた!)

仕事も問題なくこれまでどおりのフルタイムで復帰できた。

 

 体調はというと、すべての筋腫を取りきったわけではないので、

生理痛はこれまでとほぼ変わらずあるけれど、腰痛はかなり改善された。

癖のように頻繁に腰を叩いていたのが、まったくなくなった。

元々症状が重かったわけでもないから、改善もそんなに実感はない。

 

残っている筋腫の育ち具合を見てもらうために、

数カ月に一回病院に通う程度で、特に仕事にも支障はなく、

手術したなんて嘘のように、これまでどおりの日常。

 

傷跡もほんとうに小さくて薄く、こんなので手術できるんだ!と

現代の医療技術には感服。

ただやっぱり気持ち的に傷跡の近くをさわるのはいまだにどきどきして、

お風呂でもそこだけは擦るのを気にしてしまう。

 

今ある筋腫がまた大きくなってしまったらまた手術になるけど、

これぐらいの苦痛・苦労なら全然耐えれることが分かり、ちょっと気楽。

案ずるより産むが易しというけど、経験者にだけ言えることだそれは。

 

私も手術前はすごく不安で、いろんな人の体験記をネットで読み漁ったから、

もし私の書いているものが誰かの不安を少しでも軽減できたらいいなと思う。

 

 

寄り添う、その一歩先へ / CIVILIAN

昨日のCIVILIANの改名1周年ライブ。

 

Lyu:LyuからCIVILIANになったことを体感させられたライブだった。

セトリの組立ても、Lyu:Lyu時代のものは中盤のアコースティックとアンコールのみ。

たった1年で、CIVILIANとしての楽曲だけでライブができるバンドになっていた。

 

そして「生者ノ行進」は大きなターニングポイントだったのかもしれない。

客席に呼び掛けて一緒に歌う、というスタイルはLyu:Lyuには似合わなかった。

あの演者と客席の一体感はCIVILIANだからこそ生み出せたもの。

 

鬱ロックと言われることもある彼らがメジャーデビューし、

これまでとは違う新たな一面を開花させていく姿に、

ファンはそれだけで力をもらえる。

 

以前、彼らのことを「生きづらさに寄り添う音楽」として記事を書いた。

 

atamanonaka.hateblo.jp

今、彼らは「寄り添う」の先を行こうとしている。

 

「頼りない足でも僕等は歩けるさ ほら一緒に歌おうぜ」(生者ノ行進)

 

一緒に、進もうと言ってくれる。

自分も同じように傷ついているよと寄り添うだけではなく、

それでも一緒に行こうぜと背中を押してくれる。

 

これまでの歌詞に多かった 救う/救われる という二元的な関係性。

でも本当は、あなたが私を救うのと同じくらい、あなたも私に救われているのだ。

だからほら、一緒に行こうぜ、っていうことかなーと思ったりする。

 

CIVILIANになってからの楽曲は前向きすぎる、と言っている古参ファンが多くて、

その気持ちは分からないでもなくて、でも言いたい。

彼らは何もポジティブ一辺倒になったわけじゃないんだよ。

Lyu:Lyuのときの、あの痛みを分かり合える感じをそのままに、

それでも手を取って一緒に行こうぜ、って言ってくれてるだけなんだよ。

痛みを分かち合った、その向こう側に。

 

「生者ノ行進」と、8月リリースの「顔」。

「顔」のMVはとにかく篠原ともえが良いっす!

 

 

 

そして、まだまだ売れてるとは言い難いバンドなので、

気になった方は、ぜひぜひCD購入で応援してください!

 

食べること、生きること / 天の敵

**ネタバレ盛大にしてます**

 

イキウメの「天の敵」を観劇。

イキウメの舞台を観た後は、いつも良い意味でもやっとしたものが残って、

いろいろと考えさせられるのだが、今回のは飛びぬけてその度合いが高かった。

 

「ライターで“食っていく”って言うでしょう。食べることは生きることなんですよ」

 

ひとは生まれ、老い、死んでゆく。

その摂理に反し、122歳でなお若々しい容姿を保つ卯太郎。

完全食としての血液。

人の血液という生の象徴だけを摂取することで、生きてゆくことができる存在。

 

妻を亡くし、友人を亡くし、理解者を亡くし、

太陽の下を歩くことができず、夜の中にのみ生きるしかなく、

それでも飲血を続けて、死を選ばなかったのは何故だったのだろう。

 

自分の存在がいつかは医学の進歩に役立つと信じていたから?

それとも、死が怖かったのだろうか?

 

インタビュアーである寺泊の患う病は、筋力が衰え、いずれ死が訪れるものであり、

それは老いから死を早回しで経験するのと同じことだ。

「今あなたが構えているカメラを数か月後には持ち上げられなくなるでしょう、

 子供を抱き上げることもできなくなるでしょう」

死を受け入れているという寺泊に、卯太郎は「老い」「死」の現実を突きつける。

不能となること。今できていることが、できなくなること。

迫りくる死を受け入れているのか、本当に覚悟があるのかを、卯太郎は繰り返し問う。

 

ラスト、ひとり部屋に取り残された寺泊は、

血液の保存されているであろう冷蔵庫の扉を開け、

「飲血をして生き延びることができる、しかし…」という逡巡の間をおいて閉じる。

険しい表情で座る彼を見つけた妻が、大丈夫と言って肩を抱くが、

彼の表情は変わらず固いまま。

彼は何を考えていたんだろう。

しかたないと死を受け入れている振りをして目をそらしていたことに気付き、

死を直視しはじめていたのだろうか。

 

一方で卯太郎は、終わりにすることを選ぶ。

「ずっと社会を見ていたから分かる。金持ちが貧乏人の血を飲むようになる」。

老いず死なないという欲望のままに飲血に走った糸魚川夫妻は、

人類がそうなるであろうという縮図であり、卯太郎はそれを望まなかったのだろう。

自分も含め、飲血者というもの自体を葬ろうとしている。

食物連鎖の輪から、人間の範疇から外れたものとして自分を認識していた彼は、

飲血者を、自分を、「天の敵」だと思ったのだろう。

ずっと孤独だった彼の人生に、最後のほんの数年だけでも、

支えとなる存在がいたことだけが救いだなと思う。

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (入院前の準備)

物心ついてからの初めての入院だったので、

何を用意していいか分からず、とにかくネットで調べまくった。

 

病院から教えてもらえることもあるが、そうではないこともあるので、

今後の自分のためにもまとめておく。

(保険のことは自分の理解でまとめているので、ご了承ください)

 

■高額療養費の限度額申請

これは必須中の必須。

所得に応じて、1か月あたりの限度額が決定され、それ以上は自己負担せずに済む。

「1か月あたり」がポイントで、入院が月をまたがないようにした方がいい。

 

健康保険組合に事前に申請し、認定書を入院時に提出すればOK。

(認定書は、申請後1週間も経たずに送付される)

 

■生命保険用の診断書用紙をもらう

生命保険は、各社独自の診断書に記載してもらわなければならないのがほとんど。

早く保険金をもらうためには、事前に診断書用紙をもらっておいて、

退院時に記入を依頼するのがいちばんスムーズ。

 

□入院時に限ったことではないが、領収書の類はきちんと保管する

支払った医療費の総計が10万円超の場合、確定申告で税金が下がる。

 

□自宅療養期間も終了してからになるが、傷病手当金を申請する

休職している期間(休業4日目から)、給与の一部を健康保険から受給できる。

 

 

■入院時に持ち込んだもの

・パジャマ

いろんな方の体験談に書いてありましたが、前開きワンピース型が最上。

術後、ズボン型だと傷口に当たって絶対痛いと思うし、

毎日お腹の音を聞く診察があるので、前開きは必須。

 

入院中の病衣レンタルもあって、それと迷ったが、

退院後も傷に触らない方がいいだろうなと思い、結局購入。

退院後の今、ナイス判断だったなと思う。

 

購入したのはこれ。値段の割にしっかりしてて、よかった。

 

 

・風呂用品:バスタオル、タオル、ボディソープ、シャンプー、替えの下着

 

洗顔用品:洗顔料、はぶらし、歯磨き粉、コップ、スキンケア用品

 

・時計

入院中、「〇〇時からは~~です」と言われることが多いのだけど、

病室に時計はない。

他の方の体験談にも書かれていることが多かったので、

こんな病院が多いのじゃないかと思う。

盗難が気になるので、腕時計は持って行かず、安い置時計にした。

 

 

・T字帯

病院から持ってくるように言われ、はじめて聞いた名前だったのだが、

言ってしまえば、ふんどしみたいな感じか。

術後~歩行できるまでに使用する下着である。

こんなやつ。使い捨てです。

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (術後~退院)

前回の続きです。

 

≪入院3日目・手術後1日目≫

予定表では、トイレまで歩くのが目標の日。

(ベッドから3~4mぐらいか?)

 

朝目覚めて、どこが痛かったかというと、

傷口よりもなによりも、背中と鎖骨まわり。

肩こりがひどい私でもなかなか経験したことのない、

重い肩こりというのはこんなのではなかろうか?という痛み。

手術中にお腹に入れたガスのせいで痛むらしい。

単純に、かたまった姿勢で寝ざるを得なかったのも一因だと思う。

これは翌日まで続き、寝ても座っても揉んでも解消されず、

我慢できないわけではないけど、つらかった。

 

昼食から五分粥で、術後はじめての食事。

リモコンで起き上がる式のベッドで、ベッドの力で起き上がらせてもらった。

あまり起き上がらせると、お腹が圧迫される感じで痛むし、

倒してしまうと、食事のテーブルから遠ざかってしまうしで、

最初の食事はすごく苦労した。

食器を持とうにも、手の甲には点滴の針が入ってるから曲げたくないし。

でも、美味しかったので、おかずは全部食べた。

 

トイレまで歩けたら尿の管が外せるということで、

昼食から数時間後、看護師さんに補助してもらい、立ち上がる練習。

驚くほど、痛みもなく動くことができた(昼食時に痛み止め飲んでる)。

とはいえ、腰を丸めてよろよろと、お腹を庇いながらだけれども。

術後24時間で、なんとか歩ける状態になっていることにびっくり。

事前に聞いていたが、それでもやっぱり驚く。人体の回復力すごい。

 

尿の管は入っている感覚は全然ないが、

抜くときは、ずるっといういやな感触がした。

同時に、着圧ストッキングからも解放され、ちょうど点滴も終わったので、

身体についている管がすべて無くなり、晴れて自由の身に。

 

もちろんまだシャワーは浴びられないので、タオルをもらって身体を清める。

それだけでも、かなりすっきりとした気分になった。

 

前日あまり眠れていないので、日中は寝てばかりいた気がする。

昼食時から水も解禁になっていたのだけど、

うっかりしていて手術前に飲み物を買い置きしておらず、

食事時しか病院からお茶が提供されないため(水道水ならもらえたのだが、それはいやだったので)、昼食後~夕食までは喉の渇きに悩まされた。

 

この日も前日と同じく、ほとんど身動きが取れない状態で、あまり眠れなかった。

でも、昨日はあったさまざまな管がなくなっていたので、前日よりはマシだった。

 

≪入院4日目・術後2日目≫

昼にトイレに行った際、ナプキンに血がついており、慌てて看護師さんを呼んだが、

卵巣の手術だと、ホルモンの関係で不正出血が起こることもあると聞いて安心。

塊が出たり、量が増えなければ問題ないとのこと。

 

術後はじめてのシャワー。

傷にはフィルム状のテープが貼られているのみで、

沁みるのではないかとどきどきしていたが、全くそんなことはなかった。

髪を洗うのが、どんな体勢をとっても痛みが走るので、

めちゃくちゃ手早く済ませるしかなかった。

 

予想外のダメージがあったのが、テープによるかぶれ。

これまでテープかぶれなどなったことがなかったのに、

手術時にも、顔や太ももにテープかぶれで皮膚が腫れてしまい、

看護師さんたちを慌てさせてしまったらしいのだが、

シャワーで身体が暖まったことで、傷口のテープのかぶれが悪化。

もちろん剥がすことはできないので、痒みと戦う一夜となった。

 

夕食から、部屋食→食堂での食事に変わった(食堂まではベッドから30mほど)。

内容も、おかゆから普通のごはんに。

同じテーブルで食べているおばあちゃんたちに話しかけられ、

数日ぶりに看護師さん以外の人と会話をした気がする。

 

飲み物不足も深刻だったので、病院内のコンビニにお茶を買いにも行った。

ベッドから片道50mほどだと思うのだけど、

コンビニに着いた頃にはもう、へその辺りの引き攣れ感がひどく、

部屋に戻ったときにはもう動きたくないというような状態。

 

だいぶ、寝転がっている状態では痛みを感じなくなってきたので、

手術後はじめて、満足に睡眠をとれた。

 

≪入院5日目・術後3日目≫

手術時のガスが出きったのか、肩凝りのような痛みはすっきりとなくなった。

その代わりに、歩く際にかばうせいか、腰痛がはじまってきた。

もともと腰痛持ちなので、ひどくなるようなら厄介だ。

 

傷口のテープの痒みがあまりにひどいので、担当医に相談し、

予定より一日早く、痒みの少ないテープに貼り替えをしてもらった。

 

昼食のあと、昨日の夕食時にお話ししたおばあちゃんに誘われて、

病院内のちょっとした庭を散歩。

コンビニとほぼ同距離にあるのだけど、昨日ほどしんどくなく歩けた。

思えば、外の空気を吸うのは入院してからはじめてで、

日光を浴びるのは気持ちいいなと思った。

 

シャワーはやはり、髪がうまく洗えなかった。

そのせいで軽くフケっぽくなっており、落ち込む。

 

≪入院6日目・術後4日目・退院日≫

執刀医の先生による内診があり、問題なしのため退院決定。

 

病院から出るとき、エレベーターに乗ったのだけど、

落ちていく感じ、止まるときの押し上げられる感じで、

へその奥の方が引っ張られるような感覚がして気持ち悪くてびっくりした。

 

自宅までは通常時で徒歩15分程度のため、歩けなさそうと判断し、タクシーで帰宅。

帰ってからは、荷物の片付けをしたかったのだが、疲れきっており、

テレビをだらだらつけっぱなしているだけだった。

 

食べ物をどうにかしなくてはいけないのだが、入院前に冷蔵庫はほぼ空にしている。

しかし、近所のスーパー(徒歩10分)まで買いに行ける気がせず、

はじめてネットスーパーを利用した。文明の利器は素晴らしい。

 

それから、微妙に家具の配置を調整。

ふだん、ローテーブルであぐらで過ごすのが常だったのだけど、

椅子で座るのが一番楽なので、別で使っていた高いテーブルに置き換えた。

あと、洗面所に椅子を置いた。歯磨き中、立ってるのがしんどくなるから。

余らせてる家具があってラッキーだった。

 

そんなこんなで、少しずつ日常に戻していっている。

まだまだ全然歩けないけど! というか、長時間立つこともままならないけど!

 

入院前の準備もろもろのことを、また別記事で書きます。

 

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (手術前日~当日)

前回の続きです。

 

紹介された大病院が、婦人科の腹腔鏡手術が得意な先生のいらっしゃる病院で、

幸い、サイズ的にもぎりぎり開腹しなくても摘出できると言っていただいたので、

開腹ではなく、腹腔鏡手術をお願いした。

 

入院予定は手術前日も含めて6日間。実際、その予定通りに退院。

 

入院前の準備については、また別途で書く予定です。

まずは記憶が薄れないうちに、入院中の記録を。

(ほんとは入院中に書く予定にしてたけど、それどころじゃなかった)

 

≪入院1日目・手術前日≫

昼ご飯を食べた後、午後から入院。

まずは、身長・体重・体温・血圧の測定。

その後、翌日以降に履く着圧ストッキングを渡され、説明を受けた。

術中・術後の血栓を防ぐために必要らしい。

 

また、手術前後は水分も取れないので、

熱中症対策で有名なOS-1を1リットル、翌日9:00までに摂るように指示があり、

病院内のコンビニに買いに行った。

(味がどうしても無理なら言ってと看護師さんに言われたけど、私は嫌いじゃない。

 ポカリから甘味を減らした感じ?)

 

若干、陰部の除毛あり。前から見える部分のみ。

他の方の体験談を見てると、自分でやるように言われる病院もあるみたいだけど、

看護師さんが小さなバリカンみたいなのでやってくれた。

 

16時ごろに浣腸(物心ついてから初)。

浣腸をすると、ずっとお腹がゴロゴロするイメージだったのだけど、

まったくそんなことはなく、出してしまえば元通りでほっとした。

 

夕食はふつうの病院食。21時以降絶食のため、術前最後の食事。

ネットに「この病院はおいしい」とクチコミがあり、その期待を裏切らない味。

この味の定食屋が近くにあれば通うレベル。

その後、シャワーを浴びて就寝。

ベッドの硬さと緊張のため、ぐっすりは眠れず。

 

≪入院2日目・手術当日≫

午後からの手術予定だったので、午前中はkindleで漫画を読みつつごろごろ。

内診とエコー検査があったぐらい。

 

朝起きてすぐに、また浣腸。前日ので慣れた。

飲み物が許されるのが朝9:00までで、ぎりぎりの時間までかけてOS-1を飲んだ。

 

私の前にも手術があり、その進捗次第で、開始時間が前後すると言われていて、

予定開始時間より早まる可能性もあるからと、

1時間前から手術着に着替えて、着圧ストッキングを履いてスタンバイ。

形から入るタイプなので、この時点で緊張が高まる。

 

結局、予定通りの時間からの開始。

手術室に入ると、たくさんの人がいて、矢継ぎ早に指示が出て、

寝転ぶ場所を上下したり、服を脱いだり、点滴を打つ腕を出したり、

いろんなことを次々にしないといけなくて、

緊張のせいもあり、頭がキャパオーバーな感じになった。

 

注射は刺さる瞬間を見ていないと怖いタイプなので、

点滴を刺そうとしているところを身体をねじって凝視していると、

主治医で執刀医の先生から「緊張してる?」と尋ねられた。

それはもう、めちゃくちゃしてます。

 

点滴の針もそんなに痛くなく入れてくれて、ほっとしたのだけど、

いざそこから全身麻酔が始まると思うと、緊張再び。

執刀医の先生がとてもやさしい方で、

「大丈夫だよ、心配ないからね」と言って手を握ってくれたのが、

惚れてまうやろー!という感じ。吊り橋効果か。

 

麻酔が入るとき、ちょっとぴりっとしますよーと言われ、

ぴりっとしたな、と思った数秒後からの記憶はなし。

次に記憶があるのは、もう手術後。

 

とにかく看護師さんに深呼吸して!と言われ、

意識朦朧の中、眠気と戦いながら、必死で呼吸をしていた。

そのときには、もうすでに病室まで戻ってきていた。

 

意識がはっきりして、いちばんにしたのは、

「今何時ですか?」と聞いたことだったと思う。

4時間半経っていた。手術自体は4時間くらいだったらしい。

もともと、3~4時間と聞いていたので、ほっとした。

 

酸素供給の、口に当てる器具は、ドラマではよく見るけど、

あんなにうっとおしいものだとは思わなかった。

数時間で外してもらったけど、逆に呼吸がしにくくて仕方なかった。

 

痛みは、想像よりも少なかった。

腹腔鏡は開腹に比べてずっと痛みが少ないとは聞いていたが、まさかこれほどとは。

大学の頃のひどい生理痛の方がよっぽどきつかった。

痛いのは痛いのだけど、薬で紛らわせられる程度。

…と言いつつ、「起き上がらなければ、寝がえりはうっていいよ」との言葉に、

「こんなに痛いのに寝がえりなんかうてるかー!」と思う程度ではある。

 

普段から仰向けに寝るのは苦手なので、

横向きになれるように背中に枕を置いてもらった。

一度体勢を決めてしまうと、動くと痛いから動きたくないのだけど、

自重でつぶされた足がしびれてきて、数時間で目が覚めてしまい、

何度も動くことの繰り返し。

しかも、置いてもらった枕をどけるほどには身体を動かせないので、

身体を垂直に立てるか、枕にもたれかかるかの2パターンしかなく、

ほんとうにしんどかった。

点滴と、心拍モニターがついており、

そのコードで動きにくいのも、地味にいやだった。

 

もうひとつ襲い掛かってきたのは、着圧ストッキングである。

名前の通り、足を締め付けているため、

ただでさえ自重でやられている足を、さらに追い詰めるのだ。

正座したときとも違う、じわーっとした痺れ方。

看護師さんに言ったら、すこし足を揉んでくれて、ありがたかった。

 

病室に置いていた時計は、寝転ぶと見えない位置にあったので、

何時間経っているのかも分からないのが、もどかしかった。

手術前にもらっていた予定表で、

翌日になれば、歩行するまでになれるはずだと分かっていたので、

とにかく早く明日になってくれと願っていた。

何度も何度も目が覚めながらも、

痛みから逃げるためにがんばって眠ろうとして、

気付けばうとうとして、翌日になっていた。

 

つづきはまた。

 

この記事だけ読まれてる方もいらっしゃると思うので、

おすすめの本の紹介だけ再掲します。

子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (判明~手術決定)

病名が判明してから、いろいろな方の体験談ブログを拝見して、

参考にさせてもらっていたので、私の経験も日記がてら記そうと思う。

 

≪判明したきっかけ≫

実家を出てから、月経痛がほとんどなくなり、鎮痛剤も不要なほど。

「ストレスがないと、こんなところも好転するのか~」と思っていた。

しかし2016年春頃から、また鎮痛剤を使用するようになっていた。

ただ、鎮痛剤を飲めば忘れる程度の痛みだったため、

とくに気に留めることもなく、そのまま放置していた。

 

秋頃から頻尿になり、だんだん仕事にも集中しにくくなってきたため、

何科にかかろうかググっていたところ、婦人科の病気で出やすい症状との記載が。

月経痛が急に重くなる・腰痛・月経時以外の下腹部痛など、

思い当たる要素が多かったため、2017年に入ってから婦人科を受診し判明。

 

今から思えば、大学生の頃は月経痛がもっとも酷く、

手のしびれや身体の震えが起こるなど、救急車を呼ぼうと思ったこともあった。

当時、病院では発覚しなかったが、あのときにも今回の腫瘍はできていたのかも。

 

≪病名の確定≫

いちばん最初にかかった小さな病院では、

7cm大の子宮筋腫があり、卵巣も4cm程度に腫れていると、すぐに指摘。

手術の可能性が高いので、大病院に紹介しましょうと言われた。

 

あまり信じたくない気持ちもあり、翌日に別病院にてセカンドオピニオン

そこでもほぼ同様のことを言われ、仕方なく大病院に紹介してもらった。

その時点が1月末。

 

はじめて大病院にかかったのが2月の初旬。

初診では、前の病院でやったのと同じ検査しかせず、何の結論も出ず、

MRI検査の予約を取るのみで終わり、「私の有休を返せ」と思った。

 

2回目はMRI検査の結果が出た後で、

最大10cmの子宮筋腫をはじめ、多発性のものであることが発覚。

おそろしいことに、「ひとつは典型的ではない画像の写り方で、

悪性か良性かの判断が画像では判断がつきません。

それが子宮筋腫なのか、卵巣の腫瘍なのかも分かりません。

最終的には、手術しないと分かりません」と言われたのだった。

 

正直、2つの病院で手術必要との判断だったので、それは諦めていたが、

まさか「なにか分からない」と言われるとは思っていなかったので、こわかった。

それにMRI画像は素人目で見ても、明らかに健康体な人間のものではなく、

腫瘍の大きさにも数にも、もう、うわー、としか言いようのない気分だった。

 

その後も、血液検査をしたりレントゲンを撮ったり、いろいろと検査をし、

CTの結果、なにか分からないと言われていたものは卵巣の腫瘍の可能性が高そう…というところまで判明し、

いざ手術となったのだ。ここまで要したのが2か月。

 

手術日決定まではいろいろあって…。

はじめ、担当医は「良性の可能性が高ければ半年後の手術」と言っていたのだが、

婦人科内で協議した結果、「悪性の可能性がある以上早めにしよう」となったらしく、

実際は、4月上旬に手術となった。

 

≪会社への報告≫

大病院に紹介してもらう段階で、手術入院の可能性があることを上司に報告。

ネットで体験談を見ると、術後1か月くらいは休まなきゃいけなさそうだし、

人員の補充や引継ぎなどを考えると、

早めに言っておいた方が迷惑がられずに済むだろうなという打算もあり。

 

ひとによっては、病名を知られるのがいやというのもあるらしいが、

私はそんなのは全然なかったので、上司と、病名を聞いてきた人には伝えた。

わりと、自分の親や配偶者が経験している人も多くて、

「ああ、それかー。よくある病気なんだね」ぐらいの反応。

 

あとは人事に相談し、傷病手当金や高額医療制度の使い方を教えてもらったり、

欠勤の手続きをしたり、という事務的な作業をおこなった。

社内の慶弔制度で、病気療養もいくらか頂けるというのを初めて知った。

(結婚と家族の死去だけだと思っていた)

 

思っていたより長々となってしまったけれど、

入院・手術~退院までは、またあとで書きます。

 

病気については、いろいろな本を図書館で借りましたが、

私はこの本がいちばん読みやすかったです。