食べること、生きること / 天の敵
**ネタバレ盛大にしてます**
イキウメの「天の敵」を観劇。
イキウメの舞台を観た後は、いつも良い意味でもやっとしたものが残って、
いろいろと考えさせられるのだが、今回のは飛びぬけてその度合いが高かった。
「ライターで“食っていく”って言うでしょう。食べることは生きることなんですよ」
ひとは生まれ、老い、死んでゆく。
その摂理に反し、122歳でなお若々しい容姿を保つ卯太郎。
完全食としての血液。
人の血液という生の象徴だけを摂取することで、生きてゆくことができる存在。
妻を亡くし、友人を亡くし、理解者を亡くし、
太陽の下を歩くことができず、夜の中にのみ生きるしかなく、
それでも飲血を続けて、死を選ばなかったのは何故だったのだろう。
自分の存在がいつかは医学の進歩に役立つと信じていたから?
それとも、死が怖かったのだろうか?
インタビュアーである寺泊の患う病は、筋力が衰え、いずれ死が訪れるものであり、
それは老いから死を早回しで経験するのと同じことだ。
「今あなたが構えているカメラを数か月後には持ち上げられなくなるでしょう、
子供を抱き上げることもできなくなるでしょう」
死を受け入れているという寺泊に、卯太郎は「老い」「死」の現実を突きつける。
不能となること。今できていることが、できなくなること。
迫りくる死を受け入れているのか、本当に覚悟があるのかを、卯太郎は繰り返し問う。
ラスト、ひとり部屋に取り残された寺泊は、
血液の保存されているであろう冷蔵庫の扉を開け、
「飲血をして生き延びることができる、しかし…」という逡巡の間をおいて閉じる。
険しい表情で座る彼を見つけた妻が、大丈夫と言って肩を抱くが、
彼の表情は変わらず固いまま。
彼は何を考えていたんだろう。
しかたないと死を受け入れている振りをして目をそらしていたことに気付き、
死を直視しはじめていたのだろうか。
一方で卯太郎は、終わりにすることを選ぶ。
「ずっと社会を見ていたから分かる。金持ちが貧乏人の血を飲むようになる」。
人類がそうなるであろうという縮図であり、卯太郎はそれを望まなかったのだろう。
自分も含め、飲血者というもの自体を葬ろうとしている。
食物連鎖の輪から、人間の範疇から外れたものとして自分を認識していた彼は、
飲血者を、自分を、「天の敵」だと思ったのだろう。
ずっと孤独だった彼の人生に、最後のほんの数年だけでも、
支えとなる存在がいたことだけが救いだなと思う。
子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (入院前の準備)
物心ついてからの初めての入院だったので、
何を用意していいか分からず、とにかくネットで調べまくった。
病院から教えてもらえることもあるが、そうではないこともあるので、
今後の自分のためにもまとめておく。
(保険のことは自分の理解でまとめているので、ご了承ください)
■高額療養費の限度額申請
これは必須中の必須。
所得に応じて、1か月あたりの限度額が決定され、それ以上は自己負担せずに済む。
「1か月あたり」がポイントで、入院が月をまたがないようにした方がいい。
健康保険組合に事前に申請し、認定書を入院時に提出すればOK。
(認定書は、申請後1週間も経たずに送付される)
■生命保険用の診断書用紙をもらう
生命保険は、各社独自の診断書に記載してもらわなければならないのがほとんど。
早く保険金をもらうためには、事前に診断書用紙をもらっておいて、
退院時に記入を依頼するのがいちばんスムーズ。
□入院時に限ったことではないが、領収書の類はきちんと保管する
支払った医療費の総計が10万円超の場合、確定申告で税金が下がる。
□自宅療養期間も終了してからになるが、傷病手当金を申請する
休職している期間(休業4日目から)、給与の一部を健康保険から受給できる。
■入院時に持ち込んだもの
・パジャマ
いろんな方の体験談に書いてありましたが、前開きワンピース型が最上。
術後、ズボン型だと傷口に当たって絶対痛いと思うし、
毎日お腹の音を聞く診察があるので、前開きは必須。
入院中の病衣レンタルもあって、それと迷ったが、
退院後も傷に触らない方がいいだろうなと思い、結局購入。
退院後の今、ナイス判断だったなと思う。
購入したのはこれ。値段の割にしっかりしてて、よかった。
・風呂用品:バスタオル、タオル、ボディソープ、シャンプー、替えの下着
・洗顔用品:洗顔料、はぶらし、歯磨き粉、コップ、スキンケア用品
・時計
入院中、「〇〇時からは~~です」と言われることが多いのだけど、
病室に時計はない。
他の方の体験談にも書かれていることが多かったので、
こんな病院が多いのじゃないかと思う。
盗難が気になるので、腕時計は持って行かず、安い置時計にした。
・T字帯
病院から持ってくるように言われ、はじめて聞いた名前だったのだが、
言ってしまえば、ふんどしみたいな感じか。
術後~歩行できるまでに使用する下着である。
こんなやつ。使い捨てです。
・ナプキン
術後、出血があることは聞いていたのですが、少量で長期間続きます。
手術から1週間経った今日も、まだ出血は止まってません。
正直、こんなに長く続くと思っていなかったので、
家にあった買い置きの分を持って行ったのだが、ちょっと失敗だったなと思う。
買い置きは買い置きとして、家にほしい。
・マスク
病院は乾燥しがちなので、あった方がいい。
咳が出ると傷に響くので、事前の予防として。
・ペットボトル飲料
お見舞いに誰も来ない人は、絶対数本持って行っておくべき。
これを思いついていなかったから、
水が飲めるようになってから、自分で歩いて買いに行けるまで、
飲み物不足にめちゃくちゃ苦しんだ。
・暇つぶしグッズ
スマホで十分かも。ただし、充電器は必須!!
なにかに集中していれば痛みを感知しにくくなるので、
起き上がれるようになってからは、これがないときつい。
小説とか、漫画でも長編のものはしんどかった。
1話読み切りの連作漫画を読むのが捗った。
こんなのとか
こんなのとか
子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (術後~退院)
前回の続きです。
≪入院3日目・手術後1日目≫
予定表では、トイレまで歩くのが目標の日。
(ベッドから3~4mぐらいか?)
朝目覚めて、どこが痛かったかというと、
傷口よりもなによりも、背中と鎖骨まわり。
肩こりがひどい私でもなかなか経験したことのない、
重い肩こりというのはこんなのではなかろうか?という痛み。
手術中にお腹に入れたガスのせいで痛むらしい。
単純に、かたまった姿勢で寝ざるを得なかったのも一因だと思う。
これは翌日まで続き、寝ても座っても揉んでも解消されず、
我慢できないわけではないけど、つらかった。
昼食から五分粥で、術後はじめての食事。
リモコンで起き上がる式のベッドで、ベッドの力で起き上がらせてもらった。
あまり起き上がらせると、お腹が圧迫される感じで痛むし、
倒してしまうと、食事のテーブルから遠ざかってしまうしで、
最初の食事はすごく苦労した。
食器を持とうにも、手の甲には点滴の針が入ってるから曲げたくないし。
でも、美味しかったので、おかずは全部食べた。
トイレまで歩けたら尿の管が外せるということで、
昼食から数時間後、看護師さんに補助してもらい、立ち上がる練習。
驚くほど、痛みもなく動くことができた(昼食時に痛み止め飲んでる)。
とはいえ、腰を丸めてよろよろと、お腹を庇いながらだけれども。
術後24時間で、なんとか歩ける状態になっていることにびっくり。
事前に聞いていたが、それでもやっぱり驚く。人体の回復力すごい。
尿の管は入っている感覚は全然ないが、
抜くときは、ずるっといういやな感触がした。
同時に、着圧ストッキングからも解放され、ちょうど点滴も終わったので、
身体についている管がすべて無くなり、晴れて自由の身に。
もちろんまだシャワーは浴びられないので、タオルをもらって身体を清める。
それだけでも、かなりすっきりとした気分になった。
前日あまり眠れていないので、日中は寝てばかりいた気がする。
昼食時から水も解禁になっていたのだけど、
うっかりしていて手術前に飲み物を買い置きしておらず、
食事時しか病院からお茶が提供されないため(水道水ならもらえたのだが、それはいやだったので)、昼食後~夕食までは喉の渇きに悩まされた。
この日も前日と同じく、ほとんど身動きが取れない状態で、あまり眠れなかった。
でも、昨日はあったさまざまな管がなくなっていたので、前日よりはマシだった。
≪入院4日目・術後2日目≫
昼にトイレに行った際、ナプキンに血がついており、慌てて看護師さんを呼んだが、
卵巣の手術だと、ホルモンの関係で不正出血が起こることもあると聞いて安心。
塊が出たり、量が増えなければ問題ないとのこと。
術後はじめてのシャワー。
傷にはフィルム状のテープが貼られているのみで、
沁みるのではないかとどきどきしていたが、全くそんなことはなかった。
髪を洗うのが、どんな体勢をとっても痛みが走るので、
めちゃくちゃ手早く済ませるしかなかった。
予想外のダメージがあったのが、テープによるかぶれ。
これまでテープかぶれなどなったことがなかったのに、
手術時にも、顔や太ももにテープかぶれで皮膚が腫れてしまい、
看護師さんたちを慌てさせてしまったらしいのだが、
シャワーで身体が暖まったことで、傷口のテープのかぶれが悪化。
もちろん剥がすことはできないので、痒みと戦う一夜となった。
夕食から、部屋食→食堂での食事に変わった(食堂まではベッドから30mほど)。
内容も、おかゆから普通のごはんに。
同じテーブルで食べているおばあちゃんたちに話しかけられ、
数日ぶりに看護師さん以外の人と会話をした気がする。
飲み物不足も深刻だったので、病院内のコンビニにお茶を買いにも行った。
ベッドから片道50mほどだと思うのだけど、
コンビニに着いた頃にはもう、へその辺りの引き攣れ感がひどく、
部屋に戻ったときにはもう動きたくないというような状態。
だいぶ、寝転がっている状態では痛みを感じなくなってきたので、
手術後はじめて、満足に睡眠をとれた。
≪入院5日目・術後3日目≫
手術時のガスが出きったのか、肩凝りのような痛みはすっきりとなくなった。
その代わりに、歩く際にかばうせいか、腰痛がはじまってきた。
もともと腰痛持ちなので、ひどくなるようなら厄介だ。
傷口のテープの痒みがあまりにひどいので、担当医に相談し、
予定より一日早く、痒みの少ないテープに貼り替えをしてもらった。
昼食のあと、昨日の夕食時にお話ししたおばあちゃんに誘われて、
病院内のちょっとした庭を散歩。
コンビニとほぼ同距離にあるのだけど、昨日ほどしんどくなく歩けた。
思えば、外の空気を吸うのは入院してからはじめてで、
日光を浴びるのは気持ちいいなと思った。
シャワーはやはり、髪がうまく洗えなかった。
そのせいで軽くフケっぽくなっており、落ち込む。
≪入院6日目・術後4日目・退院日≫
執刀医の先生による内診があり、問題なしのため退院決定。
病院から出るとき、エレベーターに乗ったのだけど、
落ちていく感じ、止まるときの押し上げられる感じで、
へその奥の方が引っ張られるような感覚がして気持ち悪くてびっくりした。
自宅までは通常時で徒歩15分程度のため、歩けなさそうと判断し、タクシーで帰宅。
帰ってからは、荷物の片付けをしたかったのだが、疲れきっており、
テレビをだらだらつけっぱなしているだけだった。
食べ物をどうにかしなくてはいけないのだが、入院前に冷蔵庫はほぼ空にしている。
しかし、近所のスーパー(徒歩10分)まで買いに行ける気がせず、
はじめてネットスーパーを利用した。文明の利器は素晴らしい。
それから、微妙に家具の配置を調整。
ふだん、ローテーブルであぐらで過ごすのが常だったのだけど、
椅子で座るのが一番楽なので、別で使っていた高いテーブルに置き換えた。
あと、洗面所に椅子を置いた。歯磨き中、立ってるのがしんどくなるから。
余らせてる家具があってラッキーだった。
そんなこんなで、少しずつ日常に戻していっている。
まだまだ全然歩けないけど! というか、長時間立つこともままならないけど!
入院前の準備もろもろのことを、また別記事で書きます。
子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (手術前日~当日)
前回の続きです。
紹介された大病院が、婦人科の腹腔鏡手術が得意な先生のいらっしゃる病院で、
幸い、サイズ的にもぎりぎり開腹しなくても摘出できると言っていただいたので、
開腹ではなく、腹腔鏡手術をお願いした。
入院予定は手術前日も含めて6日間。実際、その予定通りに退院。
入院前の準備については、また別途で書く予定です。
まずは記憶が薄れないうちに、入院中の記録を。
(ほんとは入院中に書く予定にしてたけど、それどころじゃなかった)
≪入院1日目・手術前日≫
昼ご飯を食べた後、午後から入院。
まずは、身長・体重・体温・血圧の測定。
その後、翌日以降に履く着圧ストッキングを渡され、説明を受けた。
術中・術後の血栓を防ぐために必要らしい。
また、手術前後は水分も取れないので、
熱中症対策で有名なOS-1を1リットル、翌日9:00までに摂るように指示があり、
病院内のコンビニに買いに行った。
(味がどうしても無理なら言ってと看護師さんに言われたけど、私は嫌いじゃない。
ポカリから甘味を減らした感じ?)
若干、陰部の除毛あり。前から見える部分のみ。
他の方の体験談を見てると、自分でやるように言われる病院もあるみたいだけど、
看護師さんが小さなバリカンみたいなのでやってくれた。
16時ごろに浣腸(物心ついてから初)。
浣腸をすると、ずっとお腹がゴロゴロするイメージだったのだけど、
まったくそんなことはなく、出してしまえば元通りでほっとした。
夕食はふつうの病院食。21時以降絶食のため、術前最後の食事。
ネットに「この病院はおいしい」とクチコミがあり、その期待を裏切らない味。
この味の定食屋が近くにあれば通うレベル。
その後、シャワーを浴びて就寝。
ベッドの硬さと緊張のため、ぐっすりは眠れず。
≪入院2日目・手術当日≫
午後からの手術予定だったので、午前中はkindleで漫画を読みつつごろごろ。
内診とエコー検査があったぐらい。
朝起きてすぐに、また浣腸。前日ので慣れた。
飲み物が許されるのが朝9:00までで、ぎりぎりの時間までかけてOS-1を飲んだ。
私の前にも手術があり、その進捗次第で、開始時間が前後すると言われていて、
予定開始時間より早まる可能性もあるからと、
1時間前から手術着に着替えて、着圧ストッキングを履いてスタンバイ。
形から入るタイプなので、この時点で緊張が高まる。
結局、予定通りの時間からの開始。
手術室に入ると、たくさんの人がいて、矢継ぎ早に指示が出て、
寝転ぶ場所を上下したり、服を脱いだり、点滴を打つ腕を出したり、
いろんなことを次々にしないといけなくて、
緊張のせいもあり、頭がキャパオーバーな感じになった。
注射は刺さる瞬間を見ていないと怖いタイプなので、
点滴を刺そうとしているところを身体をねじって凝視していると、
主治医で執刀医の先生から「緊張してる?」と尋ねられた。
それはもう、めちゃくちゃしてます。
点滴の針もそんなに痛くなく入れてくれて、ほっとしたのだけど、
いざそこから全身麻酔が始まると思うと、緊張再び。
執刀医の先生がとてもやさしい方で、
「大丈夫だよ、心配ないからね」と言って手を握ってくれたのが、
惚れてまうやろー!という感じ。吊り橋効果か。
麻酔が入るとき、ちょっとぴりっとしますよーと言われ、
ぴりっとしたな、と思った数秒後からの記憶はなし。
次に記憶があるのは、もう手術後。
とにかく看護師さんに深呼吸して!と言われ、
意識朦朧の中、眠気と戦いながら、必死で呼吸をしていた。
そのときには、もうすでに病室まで戻ってきていた。
意識がはっきりして、いちばんにしたのは、
「今何時ですか?」と聞いたことだったと思う。
4時間半経っていた。手術自体は4時間くらいだったらしい。
もともと、3~4時間と聞いていたので、ほっとした。
酸素供給の、口に当てる器具は、ドラマではよく見るけど、
あんなにうっとおしいものだとは思わなかった。
数時間で外してもらったけど、逆に呼吸がしにくくて仕方なかった。
痛みは、想像よりも少なかった。
腹腔鏡は開腹に比べてずっと痛みが少ないとは聞いていたが、まさかこれほどとは。
大学の頃のひどい生理痛の方がよっぽどきつかった。
痛いのは痛いのだけど、薬で紛らわせられる程度。
…と言いつつ、「起き上がらなければ、寝がえりはうっていいよ」との言葉に、
「こんなに痛いのに寝がえりなんかうてるかー!」と思う程度ではある。
普段から仰向けに寝るのは苦手なので、
横向きになれるように背中に枕を置いてもらった。
一度体勢を決めてしまうと、動くと痛いから動きたくないのだけど、
自重でつぶされた足がしびれてきて、数時間で目が覚めてしまい、
何度も動くことの繰り返し。
しかも、置いてもらった枕をどけるほどには身体を動かせないので、
身体を垂直に立てるか、枕にもたれかかるかの2パターンしかなく、
ほんとうにしんどかった。
点滴と、心拍モニターがついており、
そのコードで動きにくいのも、地味にいやだった。
もうひとつ襲い掛かってきたのは、着圧ストッキングである。
名前の通り、足を締め付けているため、
ただでさえ自重でやられている足を、さらに追い詰めるのだ。
正座したときとも違う、じわーっとした痺れ方。
看護師さんに言ったら、すこし足を揉んでくれて、ありがたかった。
病室に置いていた時計は、寝転ぶと見えない位置にあったので、
何時間経っているのかも分からないのが、もどかしかった。
手術前にもらっていた予定表で、
翌日になれば、歩行するまでになれるはずだと分かっていたので、
とにかく早く明日になってくれと願っていた。
何度も何度も目が覚めながらも、
痛みから逃げるためにがんばって眠ろうとして、
気付けばうとうとして、翌日になっていた。
つづきはまた。
この記事だけ読まれてる方もいらっしゃると思うので、
おすすめの本の紹介だけ再掲します。
子宮筋腫・卵巣嚢腫 手術記 (判明~手術決定)
病名が判明してから、いろいろな方の体験談ブログを拝見して、
参考にさせてもらっていたので、私の経験も日記がてら記そうと思う。
≪判明したきっかけ≫
実家を出てから、月経痛がほとんどなくなり、鎮痛剤も不要なほど。
「ストレスがないと、こんなところも好転するのか~」と思っていた。
しかし2016年春頃から、また鎮痛剤を使用するようになっていた。
ただ、鎮痛剤を飲めば忘れる程度の痛みだったため、
とくに気に留めることもなく、そのまま放置していた。
秋頃から頻尿になり、だんだん仕事にも集中しにくくなってきたため、
何科にかかろうかググっていたところ、婦人科の病気で出やすい症状との記載が。
月経痛が急に重くなる・腰痛・月経時以外の下腹部痛など、
思い当たる要素が多かったため、2017年に入ってから婦人科を受診し判明。
今から思えば、大学生の頃は月経痛がもっとも酷く、
手のしびれや身体の震えが起こるなど、救急車を呼ぼうと思ったこともあった。
当時、病院では発覚しなかったが、あのときにも今回の腫瘍はできていたのかも。
≪病名の確定≫
いちばん最初にかかった小さな病院では、
7cm大の子宮筋腫があり、卵巣も4cm程度に腫れていると、すぐに指摘。
手術の可能性が高いので、大病院に紹介しましょうと言われた。
あまり信じたくない気持ちもあり、翌日に別病院にてセカンドオピニオン。
そこでもほぼ同様のことを言われ、仕方なく大病院に紹介してもらった。
その時点が1月末。
はじめて大病院にかかったのが2月の初旬。
初診では、前の病院でやったのと同じ検査しかせず、何の結論も出ず、
MRI検査の予約を取るのみで終わり、「私の有休を返せ」と思った。
2回目はMRI検査の結果が出た後で、
最大10cmの子宮筋腫をはじめ、多発性のものであることが発覚。
おそろしいことに、「ひとつは典型的ではない画像の写り方で、
悪性か良性かの判断が画像では判断がつきません。
それが子宮筋腫なのか、卵巣の腫瘍なのかも分かりません。
最終的には、手術しないと分かりません」と言われたのだった。
正直、2つの病院で手術必要との判断だったので、それは諦めていたが、
まさか「なにか分からない」と言われるとは思っていなかったので、こわかった。
それにMRI画像は素人目で見ても、明らかに健康体な人間のものではなく、
腫瘍の大きさにも数にも、もう、うわー、としか言いようのない気分だった。
その後も、血液検査をしたりレントゲンを撮ったり、いろいろと検査をし、
CTの結果、なにか分からないと言われていたものは卵巣の腫瘍の可能性が高そう…というところまで判明し、
いざ手術となったのだ。ここまで要したのが2か月。
手術日決定まではいろいろあって…。
はじめ、担当医は「良性の可能性が高ければ半年後の手術」と言っていたのだが、
婦人科内で協議した結果、「悪性の可能性がある以上早めにしよう」となったらしく、
実際は、4月上旬に手術となった。
≪会社への報告≫
大病院に紹介してもらう段階で、手術入院の可能性があることを上司に報告。
ネットで体験談を見ると、術後1か月くらいは休まなきゃいけなさそうだし、
人員の補充や引継ぎなどを考えると、
早めに言っておいた方が迷惑がられずに済むだろうなという打算もあり。
ひとによっては、病名を知られるのがいやというのもあるらしいが、
私はそんなのは全然なかったので、上司と、病名を聞いてきた人には伝えた。
わりと、自分の親や配偶者が経験している人も多くて、
「ああ、それかー。よくある病気なんだね」ぐらいの反応。
あとは人事に相談し、傷病手当金や高額医療制度の使い方を教えてもらったり、
欠勤の手続きをしたり、という事務的な作業をおこなった。
社内の慶弔制度で、病気療養もいくらか頂けるというのを初めて知った。
(結婚と家族の死去だけだと思っていた)
思っていたより長々となってしまったけれど、
入院・手術~退院までは、またあとで書きます。
病気については、いろいろな本を図書館で借りましたが、
私はこの本がいちばん読みやすかったです。
かわいそう、の罪悪感
「お母さん、娘をやめていいですか?」には、毎週のように胸をえぐられている。
娘をなじることしかしない親(主人公の美月からは祖母)が亡くなり、
最期に遺した言葉もまた、自分をなじるものだったことから、
精神的に不安定になる顕子(美月の母親)。
泣き崩れる身体を支え、「大丈夫、私がいるじゃん!」と美月は言う。
その後、体調を崩した顕子は、自分と彼氏のどっちが大事なのかと美月に問いかける。
一方、美月の教え子である礼美は、離婚して離れている父親に会おうとして、
「あんたを育てたのは私なのに!私とあいつ、どっちが大事なの!」と
母親に暴力をふるわれていた。
どちらのエピソードも、母親の「かわいそうな私」が背景にある。
意図的であるか、無意識であるかはともかくとして、
自分から離れる気配を見せた娘に対し、
「かわいそうな私」をないがしろにする罪悪感で縛ろうとしている。
以前紹介した小説「あのひとは蜘蛛を潰せない」の主人公の母親も
この系列にある。
私も、それで縛られている。
女手一つで家族を養うために、吐くほど嫌いな仕事をしていた「かわいそうな」母。
不仲な祖母とふたりきりで実家に残してきてしまった「かわいそうな」母。
私が祖母に理不尽に罵られても助けてくれなかった母。
会社の愚痴を口汚くぶちまけて、自分だけすっきりしていた母。
話すのもしんどくて、それでも連絡が来ると無視しないできちんと返した。
私だけが味方だと思っていて「かわいそう」だから。
以前読んだ信田さよ子さんの本に「罪悪感は関係を断つ必要経費」とあり、
なるほど~と思ったけれど、現実はそうも割り切れない。
でも最近は、「また連絡するから今度ね」と言って先延ばしし続けるという技を覚え、
100%とは行かなくても、何割かは経費認定できてきた気もする。
罪悪感のタチの悪いところは、文字通り「罪の感覚」があること。
悪いことをしているわけではないのだと思うところから、
すべてがスタートできるのかもしれない。
「家族」は免罪符にならない /カルテット3話
昨夜のドラマ「カルテット」が最高に良かった。
昔、幼い娘を利用して詐欺をはたらいた父親が亡くなり、
父親のいる病院の近くまでは行ったものの通り過ぎるすずめちゃんを見つけ、
真紀さんが追いかけていく。
平凡な脚本家だったらきっと、父親のところに行かなきゃと説得して、
「あーあ」とがっかりするシーンになっていたと思う。
しかし坂元裕二はやってくれた。
(大好きな脚本家さんなので、「やっぱり!」と「さすが!」の念を込めて)
行きたくない素振りを見せつつも「家族だから、行かなきゃだめかなあ」「父親が死んだのに行かないってわけには…」と呟くすずめに、
「行かなくていいよ、帰ろう、いいのいいの」と手を取って真剣な顔で力強く言う真紀さんが、女神に見えた。
2/7(火)までは、下記サイトで無料で見られるようなので、よろしければぜひ。
「手術ですね」と言われてまず考えたこと
いちばん最初に考えたのは「私ひとりでなんとかできるだろうか」ということだった。
ネットで体験談を読み漁っては、入院はいけるけど手術は立ち合いが要る…?など、
とにかく自分ひとりで動くことを前提にいろいろと考えて考えて、
ただでさえ思ってもいない病気が見つかって精神的に不安定なのに、
なんでこんなにひとりでがんばらなれければいけないのかと心が折れそうになる。
肉親に打ち明ければ、入院中のあれこれを手伝ってくれるだろうけれど、
病気になったのはお前に原因があると言われるのは目に見えているし、
これ幸いと、干渉するきっかけにされかねない。
それが嫌だから、こんなにも自分だけで完結させることに執心しているのであって、
そもそもそんなことを考えざるをえない状況が異常なんだよ!と怒りを覚える。
私はもう、今後一切肉親にかかわりたくない。
昔のように死んでほしいとか思わないから、ただ私に関わらないでほしい。
そう願っていることを、強烈に思い知った。
わたしが決めるということ / あのひとは蜘蛛を潰せない(彩瀬まる)
親にかけられた呪縛と戦っている人は、この主人公は自分だ、と思うだろう。
温かいごはんを毎日用意し、娘が帰るまで食べずに待っていたり、
高価な服や化粧品を買い与えたりと過保護な一方で、
「頭が悪い」「脚が太い」とけなす言葉を放つ。
そんな母親と二人で暮らす28歳の主人公の梨枝は、
息苦しさを感じつつも、母親から離れることができずにいる。
幼かった息子を亡くし、夫が愛想を尽かして出ていき、
女手ひとつで育てた息子も結婚を機に家を去る。
そんな母を「かわいそう」に思って。
しかし、大学生の三葉くんと付き合いだしたのをきっかけに、
梨枝は家を出て、少しずつ変わりはじめる。
「きちんと」「ちゃんと」しなきゃと、
実体のない規範に縛られている梨枝を、とても痛々しく感じる。
その一方で、それはまるで自分自身の鏡写しなのだ。
「正しさ」なんていうものは絶対的に存在するわけじゃない。
他の誰でもない、わたしが、自分で決めるのだ。
傷つきながらその結論にたどり着く姿に、力をもらう。
特に、過保護な親に息苦しさを感じている人にぜひ読んでほしい。
毒にも似た歌詞の鮮烈 /スガシカオ
本音と建前なんて言うけれど、
「思ってても言っちゃいけないでしょ、それ」な本音を
グロテスクではなく爽快に表現するのがスガシカオの魅力。
最新アルバム「THE LAST」に収められている
「あなたひとりだけ幸せになることは許されないのよ」は
タイトルからしてもう、その真髄がだだ漏れている。
誰もが経験のある後ろ暗い欲望や感情。
持っていない振りをしたくなる、そんなカタマリたちを、
何でもないことのように彼は歌う。
自分だけではないということの救い、などと言うと陳腐だけれど、
真っ白にキレイで真っ当な人間じゃないのは、何も自分だけじゃないのだと、
どこか許されたような気持ちになる。
そうした影の部分を鮮やかに切り取ってみせる一方で、
NHK「プロフェッショナル」のテーマ曲である「Progress」のような
メッセージソングを書き上げるという才能の振れ幅もまた、
スガシカオにハマる一因だったりするのだ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「アルバム視聴会」と題されたライブから約1年が経ったけれど、
耳を傾けるたびに、何度でも視聴会のときの衝撃を思い出す。
デビュー20周年を迎えてなお、エッジの効いた彼の最新作です。
生きづらさに寄り添う音楽 /Lyu:Lyu(CIVILIAN)
しんどくて、大好きな本を開く気力すらないとき、
いつも音楽に助けられてきた。
つらいときに聴くのは、前向きなメッセージ性の強い音楽よりも、
作り手も自分と同じように苦しんでいることが感じられる、
人によっては「ネガティブ」と言われるだろう曲たちがいい。
Lyu:Lyu(11月にCIVILIANとしてメジャーデビュー)は、
間違いなくそういうときに聴くべきバンドだ。
「他者と関わりたいけどうまく関われない、だから関わりたくない、でも…」
みたいな矛盾感を抱えているひとは、共感性が高いんじゃないかと思う。
私の語彙力ではうまく説明しきれないのがもどかしい。
下にYoutubeのリンクを貼っているので、とりあえず1曲聴いてみてほしい。
彼らの曲は、もしかしたらあなたを救う曲になる。
私にとって、そうであったように。
Youtubeにアップされていない曲もいっぱいあるので、
ちょっとでも琴線に触れた人がいらっしゃれば、アルバムも是非。
事実とは何か /遠野物語 奇ッ怪其ノ三
脚本家が前田知大さんということで観劇。
イキウメ・カタルシツ以外で、彼の脚本を観るのは初めてだったが、
期待を裏切らない面白さ。
「標準語」以外で語ること・記すことが弾圧され、
フィクションが「妄想・虚妄」として取り締まられる世界。
冒頭の「過去であるかもしれず、未来かもしれない」の台詞が刺さる。
科学的に証明できないことは嘘だ、虚妄だと警官は言う。
しかしヤナギダの著作は、ササキが語ったことをそのまま書き起こしたものであり、
ササキ(あるいはササキに語った人)にとっては、それは「事実」なのだ。
たとえそれが、科学的に立証できない奇怪な現象だとしても。
事実であるかどうかは、経験した本人が決めることだ。
イノウエが、妻の失踪を神隠しとして片付けられるのを拒否するのも、
同じことの裏表でしかないように思う。
話はまったく変わるが、ササキが他者の話を語るときに、
「思い出している」ような感じだと言っていたが、
カタルシツの「語る室」のときも同じような台詞があったなぁと。
「想像することは思い出すことだ」。
人類が共有する記憶のプールにアクセスするという途方もない話だったけど、
「分からないけれど、分かる」という感覚を引き合いに出されると、
たしかにそういうことってあるよなと思わされてしまう。
これまでアイドル俳優という印象だったのが申し訳ないぐらい、
東北の訛りがほんとうに上手く、おばあちゃんとの絡みもよかった。
「遠野物語」読んだことがなかったけれど、読んでみたくなった。